Home 行事 会員へのお願い 2009年第3回目の研究会は5月9日14時からJCIIの6階で開催され、約50名の参加がありました。今回の研究会テーマは「カメラ名または製造会社名がOまたはPで始まるカメラ」でした。国産ではオリンパスやペトリのカメラ、小西六のパール、外国ではプラウベルのカメラが多く見られました。今回の報告では前半にプラウベルのカメラについて解説を行い、後半でその他のカメラについて持参カメラリストと一部のカメラの写真を掲載いたします。 ◆ プラウベルのカメラ -ヒットラーの専属カメラマンも使った- ◆ プラウベル(Plaubel & Co.)はストラット型フォールディングカメラのマキナシリーズで有名な会社だが、会社そのものや他のカメラを含む全般を記述した良い資料が見当らない。筆者の知るところではW.クロス(Dr. W. Cross)著、1937年発行の「Das Buch der Makina」が戦前のマキナについて詳しく述べているが、会社そのものの説明はあまりない。戦後では、プラウベルが日本のドイ・インターナショナルに売却された時に作った「Plaubel」という資料があるが、これもマキナシリーズ以外の戦前のカメラについてはほとんど記述がない。カメラそのものはMcKeownのプライスガイド(McKeown’s Price Guide to Antique & Classic Cameras以下McKeown’sと記す)やW.ケルクマン(W. Kerkmann)のドイツカメラ(Deutche Kameras)に多くの例が見られる。本稿ではこれらやカメラレビュークラシックカメラ専科に書かれた撮影記なども参考に、マキナシリーズと会員の所有しているカメラについてまとめてみた。 プラウベルは1902年11月にフーゴ・シュラーダー(Hugo Schrader)によりドイツのフランクフルトで創立され、当初は他社のカメラやアクセサリーを販売するとともに、レンズメーカーとしてもスタートした。 フーゴ・シュラーダーは1873年生まれで、1895年からブラウンシュヴァイク(Braunschweig)のフォクトレンダーでセールスマンとして5年間働いた後、フランクフルトのドクター・クリューゲナー(Dr. Rudolf Krügener)(ヴュンシェやヒュティッヒなどとともに1909年に合併してイカとなった有力会社)に入社した。ドクター・クリューゲナーに在籍したのは僅か2年だが、ドクター・クリューゲナーの写真器材に対する独自で革新的なものを作り出そうという姿勢を学んだとされている。1906年にクリューゲナー博士の娘と結婚し、両社は親族関係になっている。翌年、後にフーゴの死後社長を引き継ぐゲッツ・シュラーダー(Goetz Schrader)が生まれ、クリューゲナー博士は第一次世界大戦直前の1913年に亡くなっている。 プラウベル最初のカメラは、1910年に発売された9×12cm判乾板カメラのプレツィジオンス・ペコ(Präzisions Peco)である。このカメラは横型だが、ベースボード上のレールにレンズを引き出すフォールディングカメラで、ストラット型にはなっていない。どちらかというとクリューゲナーのカメラに似ている。レンズはF6.8、シャッターはコンパウンドがついていた。このカメラは1913年頃から縦型のモデルに変更されるが、まだシャッターはコンパウンドでフレームファインダーはない。また10×15cm判も発売されている。写真1は、1922年頃に作られた縦型9×12cm判プレツィジオンス・ペコで、蛇腹の2段伸ばしや上下左右へのレンズシフト機能、フレームファインダーと反射ファインダーおよび水準器を備え、レンズはアンチコマー(Anticomar)12.5cm F2.9、シャッターは旧コンパーが付いた高級機である。この機種には乾板カメラには珍しい連動距離計の付いたものも知られている。この1922年型にはこの他6.5×9cmおよび10×15cm判があり、横型のものもあった。 マキナシリーズ最初のカメラは4.5×10.7cm判のステレオマキナ(Stereo Makina 写真2)で、1911年に発売された。なお最近のMcKeown’sなどでは1912年と書かれているが、1937年発行の本には説明も含めて1911年とはっきり書かれているので1911年とした。ピントは目測で合わせるアトム倍判のステレオカメラであるが、マキナの特徴であるX型ストラットを採用している。本機は1923年まで製造されたが、その後継機として1926年に6×13cm判のステレオマキナが発売された。最初のものよりサイズが大きくなり、シャッターも旧タイプのステレオコンパーになっているが、構造は1912年発売のものとほとんど同じである。レンズはアンチコマー90mmF2.9になり、焦点距離が前の60mmより長い。 写真3は、最初のものが1912年に発売されたアトム判(4.5×6cm)のマキナで、ステレオ部以外はステレオマキナと同じ構造である。図1に示すように、2本の幅広ストラットをX型に交差させ、夫々の一端をボディとレンズボード端の軸に回転自在に止め、他端はボディとレンズボードにつけた溝の中を移動できるようにしてある。この構造によりレンズボードの繰り出しや収納が自由にできるとともに、右に出ている繰り出しノブを回すと、ノブ先端とネジ勘合するコの字型金属部材が上下のストラット端を移動させてレンズボードを前後に動かし、焦点調節を行うことができる。剛性および精度の高い構造である。マキナシリーズは戦後の最終型まで全てこの構造を採用しており、本機がその原型と言える。本機のレンズにはアンチコマーF3.0が付いているので(後述)1924年頃の製品と思われる。 本機の焦点調節は目測で、またレンズ交換はできない。初期のものはフレームファインダーが無く、ニュートンファインダーが付けられていた。後期型はニュートンファインダーの接眼部が凸レンズになった逆ガリレイ式ファインダーに替わっており、その対物レンズ(凹レンズ)はレンズボード側に移されている。またフレームファインダーも併設されている。なお4.5×6cm判は後のカメラと区別しやすいようにベビーマキナと呼ばれることが多い。 写真4は6.5×9cm判のマキナで、最初のものは1919年に発売された。距離計は無く構造は後期型のベビーマキナとほぼ同じである。これも他と区別するためマキナⅠと呼ぶ。逆ガリレイファインダーとフレームファインダーがついており、初期型はレンズに10cmF4.2のアンチコマー(4枚玉)、シャッターにコンパウンドが付いていた。シャッターは1921年にコンパウンドから旧コンパーに、1930年に新コンパーに替わっている。アンチコマーの明るいレンズは1924年にF3.0(3枚玉)が、1926年にF2.9(3枚玉)が導入されたが、1931年に4枚玉のF2.9に変更された。新型のアンチコマーのネジ径は旧型より大きく、互換性は無い。フーゴ・シュラーダーの息子ゲッツ・シュラーダーは1930年にカメラの開発を含む技術部門の責任者となっており、アンチコマーの改良は彼のもとに行われたと見てよい。これを後期型とする。写真のカメラは旧型のアンチコマーF2.9と旧コンパーつきなので、1926~1930年の間に作られたことが分る。なお写真のアクセサリーシューとシンクロ端子は後付けである。 写真5は1933年に発売された連動距離計つきの6.5×9cm判マキナⅡ(ここからは正式にモデル番号が付いた)である。後期型マキナⅠに上下像合致式の距離計がついたものでそれ以外の変更はほとんど無い。本機のレンズボードは黒色だが、少し遅れてクロームメッキ仕上げのものが発売された。 これらマキナⅠとマキナⅡのシャッターは、図2のように標準レンズの前群と後群に挟まれているビトウィーンレンズシャッターであるが、マキナⅠの後期型とマキナⅡに合う交換レンズが用意された。F5.4とF6.8と2本用意された21cmの望遠用テレマキナー(Tele Makinar)は標準レンズの前群だけを外して取り付けるようになっている。しかし広角レンズのオルター(Rapid Weitwinkel Orthar)7.3cmF6.8は前群と後群ともに交換しなくてはならなかった。 また焦点距離可変(Varifocal)特殊超望遠レンズのテレ ペコナー(Tele Peconar)は、前群も後群も外して前部だけに取り付けるようになっている。テレペコナーにはカメラボディの後ろにつける焦点距離増大用のベローズが用意されており、図3(Das Buch der Makinaより)のような使い方をすると最大700mmの焦点距離が得られた。筆者も写真6のテレペコナーを持っているが所有しているマキナⅡにはつかず、使い方を確認できていない。 マキナⅡはそれ以前のマキナⅠに距離計をつけただけで、レンズ交換はやりにくいものであった。プラウベルは1936年に図4に示すようにレンズとシャッターの組み合わせをビハインドレンズシャッター、すなわちシャッターがレンズの後ろにある方式のマキナⅡS(レンズボードはクローム仕上げのみ)を発売して、レンズ交換は前からだけ行えばよいものにした。このためレンズの設計をやり直すことになったが、このとき取付け用ネジを細目から粗い目に変更して、180°回すだけで着脱ができるようにした。この結果レンズ交換は素早くできるようになり、非常に使いやすいカメラになった。マキナはⅡSで完成されたカメラになったと言える。しかしそれ以前のマキナⅡ用レンズを使うことはできなくなった。マキナⅡSは小形ながらプレスカメラとしての必要な機能を満たしており、その使いやすさから戦後のⅢ型も含めて長くプレスカメラとして使われた。ⅡSはフレームファインダーの接眼部が大きな四角になったことと、レンズが前に大きく出ているのでⅡとは区別しやすい。またⅡSをレンズ交換のできないタイプにしたⅡa型、さらにシャッターのコンパーSをセルフタイマー無しにしたⅡb型が戦後の1946年に発売されている。創業者のフーゴ・シュラーダーはⅡS発売3年後の1939年、第2次世界大戦が始まった直後に亡くなり、以後は既に共同経営者となっていたゲッツ・シュラーダーが会社を引き継いだ。 写真7(アンチコマー100mmF2.9付き)は1949年に発売されたマキナⅢで、マキナⅡSにシンクロ接点を追加したものである。戦前のⅡS用交換レンズは全て使え、標準レンズと広角レンズは同じデザインでコーティングが施された。望遠レンズのテレマキナーだけは焦点距離を21cmから19cmにしたものが生産されている。写真8はこのテレマキナーをつけたものである。ⅡSも含め本機の距離計は100mmの標準レンズに合うように作られている。望遠レンズの焦点合わせは、標準レンズ用の位置までストラットを伸ばした後2重像が合致したところで、ボディ側の目盛をレンズ側の目盛に合わせ、さらにボディ側の目盛を無限大に直す、という操作をする。広角レンズはストラットを広角レンズ用の位置で停め、目測で合わせる。なおそれまでのカメラには会社名のPlaubelしか記載が無かったが、以後G. Schraderの字が入るようになった。またマキナⅢのシャッターは1/200秒の新コンパー(セルフタイマー無し)であったが、1956年に1/400秒のコンパーラピッド付きマキナⅢRが発売され、これがドイツ時代最後のマキナになった。なおマキナⅢについては、カメラレビュークラシックカメラ専科65号に詳しい記事があるので参照頂きたい。 写真9はマキナⅢ用のロールフィルムホルダーである。上は35mmフィルム用で、下二つは120フィルム用の上が6×6㎝、下が6×9㎝判用である。写真10は35mmフィルム用のホルダー(ミニアチュア・フィルムアダプターが正しい名称)を開けたもので、下にツマミのある軸(カバーがある)部分にフィルムを装填する。120用はこの他6×4.5㎝判用のものもある。プラウベルの120用ホルダーは自動巻き止めが特徴で、マキナⅢ用は中子の中央にある窓にスタートマークを合わせ、フィルムカウンターを0に合わせた本体に中子を挿入して裏蓋を閉じ、巻き上げノブを停まるまで回せば撮影準備完了である。マキナⅡ時代のものは、最初に1枚目の数字を赤窓で合わせれば後は自動巻き止めになるタイプで、1934年発行のThe British journal Almanacの中の広告に見られる。 写真11は1931年に発売されたベスト半裁(4×3cm)判カメラのマキネッテで、ゲッツ・シュラーダーが技術部門の責任者となってから最初に開発したカメラと言われている。マキナと同様にX型のストラットカメラで距離の調節はレンズボードの上に出ているギザの付いたリングでヘリコイドを回して行う。本機のレンズはアンチコマー50mmF2.7であるがズープラコマー50mmF2のものもあった。 写真12は1933年に発売されたセミ判カメラのフィックスフォーカスで、バルダから供給されたバルダックスのボディにアンチコマー75mmF3.5をつけたものである。フィックスフォーカスはバルダのカメラ名であるが、セミ判のカメラはバルダックスの、6×9判はフィックスフォーカスそのもののボディを使用して、どちらもフィックスフォーカスの名称で売っていた。しかしこの紛らわしい名前はすぐに廃止され、ロールOPに改称された。 写真13は1935年に発売されたセミ判カメラのロールOPⅡである。これもバルダの距離計連動カメラのバルダクセッテが元で、距離計をマキナに使われているものに替え、レンズもアンチコマー75mmF2.8に替えている。これにはフィルムの自動巻き止め装置がついている。本機にはコンパーラピッドがついているが、コンパーつきのものや6×6㎝判のものもある。なおこれらバルダから供給されたボディに付いているアンチコマーのレンズは本当にプラウベルのレンズだったのか疑問が残る。 以上で今回の研究会に持参されたカメラとその関連カメラの説明を終えるが、プラウベルはこれ以外にペコと名の付く多くの乾板用ベースボード型フォールディングカメラを戦前に作っている。また戦後ではスタジオ用一眼レフのマキフレックス、そして多種のビューカメラを販売していた。1975年に日本のドイ・グループがプラウベルを完全買収したため、ニッコールをつけたマキナ6×7などが日本から発売されていくが、これについてはカメラレビュークラシックカメラ専科48号に詳しい記事があるので、参照頂きたい。プラウベルは現在でもデジタル対応のビューカメラのプロフィア69を中心にカメラ、レンズ販売の活動を続けている。 (小林昭夫) '09/5月研究会持参カメラ一覧・・・基本的には持参者の記入通りとし明らかに誤記と思われるものは(編)で修正しました (敬称略、50音順)
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