全日本クラシックカメラクラブ
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2009年最初の研究会は、1月10日14時からJCII6階会議室で開催されました。恒例の新年会を控えているためか、今回のテーマであるカメラ名または製造社名が「MまたはNで始まるカメラ」に人気が集まったのか、久し振りに60名近い会員が集まりました。最初に高島鎮雄会長が立ち、来年に迎える30周年記念行事や会の運営に多くの会員の参加することを期待する新春の挨拶がありました。今回のテーマでは、カメラ名と製造社名が共にMとNで始まる国産機に集中しました。中でも、マミヤ、ミノルタ、ニッカ、ニコン、ネオカが目立ちました。

 間宮精一が写友菅原恒二郎の支援を得て、マミヤ光機製作所を設立したのは1940(昭和15)年5月、精一38歳のときでした。精一にうながされるようにして一家で大仁を出た精一の実弟、カメラ大好きの悦三は、東京に移り住み兄を助けます。12月にはマミヤシックス61台が完成しましたが、すでに250台のバックオーダーを抱えていました。公定価格は248円でした。精一の開発コンセプトは、(1)高性能を有する高級カメラであること (2)つねに使用する立場にたって設計を考え操作が容易で万人向けのカメラであること の2大要件をみたすことでした。カメラ名に「マミヤ」の名を冠したのは、つねに製品に自ら責任を感じ、不良品を作ることは「天に唾することで、必ず自分に帰ってくる戒め」との意味でした。 伊豆箱根鉄道駿豆線大仁駅から、国道136号線の旧道を200mほど南下したあたりに、間宮写真撮影所があります。悦三の子息克夫が経営していましたが12年前になくなり、妻の智子(76)が着付け講師の技を生して今でも営業を続けています。「マミヤシックス縁の間宮さんですか」と訪れるカメラ愛好家もあるそうです。 さて、精一の父、勝三郎は静岡県三島市の生まれで呉服屋に奉公します。後に、暖簾分けで静岡県田方郡大仁(現伊豆の国市大仁)に呉服店を開業します。勝三郎の旦那芸は発明でした。1919(大正8)年、大仁駅近くに(株)間宮堂を設立して間宮式計算機や間宮式金庫の製造を始めますが、事業は成功とはいえませんでした。精一は、金銭登録機の開発を手がけ、1926(大正15)年9月、国内初の金銭登録機発売に漕ぎ着けます(図1)。その後、藤山愛一郎の資金援助を受け、資本金200万円の日本金銭登録機(株)に改組します。 同社の技術に目をつけたアメリカのナショナル金銭登録機(NCR)から提携の申し出があり、日本ナショナル金銭登録機(株)となりました。1937(昭和12)年、精一は同社を去りますが、戦時体制が深まる1940(昭和15)年1月には、外資排除により東京芝浦電気(株)が買収して同社大仁工場となります。戦後、1950(昭和25)年2月には、企業再建整備法により分離独立し、1957(昭和32)年4月にやっと金銭登録機の生産を再開します。この会社がPOS(販売時点情報管理)システムでトップシェアを占める現在の東芝テック(株)です。精一の技術は、形を変えて現在でも大仁で生き続けています。(敬称略)

 マミヤシックスは、1940年に始まるオリジナルモデル(Ⅰ)の生産から、1959年12月に生産終了する最終モデルのオートマット2型まで、約40万台生産されました。この間、基本設計は全く変わらないことは、最初の発想がいかに優れていたかの証でしょう。 オリジナル モデルは、12角型のダイカストボディ、クロームメッキの3本たすき、距離計連動の一眼式アイレベルファインダー、ウエストレベルの反射ファインダー、裏蓋赤窓で①を出し、以後は自動巻き止めとなるフィルム送りなどが主な特徴です。レンズはK.O.L.スペシァル f=7.5cm 1:3.5、シャッターはNKS00番が基本ですが、統制経済のなか、調達できるレンズ、シャッターはできる限り利用したようです。また、手持ちのレンズ、シャッターを取り付けるサービスを行い、舶来レンズやシャッターに夢を託す人たちにも好評でした。これを可能としたのは、距離合わせにレンズを前後させるのではなく、フィルム面を前後させるバックフォーカスという機構です。シャッターの取り付け位置を無限大に合わせ、距離計連動カムの修正と距離目盛りの彫刻を行うことで連動調整が簡単に行えるのです。
 さて、研究会には6台のマミヤシックスが集まりました。篠崎光弘さんは、Ⅲ型とⅣ型(前期)を展示されました。Ⅲ型は1942(昭和17)年1月発売で、1945(昭和20)年3月の強制疎開による工場移転まで製造されていました。戦後、戦災を免れた第二工場(東京帝国大学キリスト教青年会館借用)で生産再開を図り、1946(昭和21)年1月にはⅢ型57台、2月にはⅢ型48台を生産しています。Ⅲ型は、当初から予定していた二重露光防止装置と閃光同調装置を加えたものです。
 Ⅳ型は、1947(昭和22)年10月の発売で、新設計の連動距離計を搭載し、精度と堅牢性を確保しました。前期の製品は、Ⅲ型同様にシャッターのセットレバーの動きで接点を閉じる外部同調式ですが、その後、F接点付きのシャッターが開発されたので、後期型ではこれを採用しました。 伊木紀明さんはⅣS型を展示されました。ⅣS型は1957(昭和32)年10月の発売で、新設計のボディを採用した1955(昭和30)年発売のⅣB型の流れを汲むものです。プレッシャープレートが差し込み式から蝶番式に変わり、扱い易くなりました。
 1955年(昭和30)年12月発売のオートマットには、巻き上げと連動してシャッターをチャージする機構が導入されましたが、6×6cm判スプリングカメラとしては世界初の快挙です。1958(昭和33)年には、ファインダー視野にアルバダ式ブライトフレームを採用し、自動巻き止め機構を改良したオートマット2型が発売になります。小滝日出彦さんと長谷川幸也さんが展示されました。ところで、マミヤではカメラ本体に型名を明記しないのが伝統です。小滝さんと長谷川さんの速写ケースには、Automaticと明記されており、話題となりました。馬淵さんは、二眼レフのマミヤオートマットで、元箱にはオートマティックと記載されていたことを開示され、高島さんは、オートマットがローライの商標に抵触するのではないかと指摘されました。スプリングカメラのトップを究めたものの、世の中の趨勢は35mmに移り、このモデルを最後にマミヤシックスは静かに舞台から消えて行きました。

 精一が理想とする二眼レフの開発は戦争中に開始され、戦後まもなく生産型の試作を終えますが、諸般の事情から廉価版のジュニアからスタートします。一年後の1949(昭和24)年7月、マミヤフレックスオートマット(B型発売でAを追加)が発売となりました。精一は、自分の作画経験から、左手でカメラを保持し、右手で操作するのが良いとし、フォーカシングノブ、巻き上げノブ、ボディレリーズを右手側に集中しました。赤窓、スタートマーク、ローラー通しなしで、フィルム巻き上げとシャッターチャージと自動停止ができる完全オートマット機構を持っています。平形信さんが展示されました。 マミヤシックスの開発に目処がつくと、精一はレンズ交換可能な二眼レフの開発を始め、1957(昭和32)年1月に、マミヤフレックスCプロフェッショナルを発売します。大方の予想に反し、多くのプロ写真家の支持をえて改良が進み、1994(平成6)年1月のマミヤC330ブロフェッショナルSの販売終了まで、約半世紀に及ぶマミヤの二眼レフの販売が続きました。伊木紀明さんが初期のC2型を展示されました。
 マミヤシックスのコンセプトをすべてそのまま35mmカメラに移植したのがマミヤ35(オリジナル)です。バックフォーカス方式、フィルム巻き上げとシャッターチャージの連動、ファインダー内の未巻き上げ警告、すべてシックスのノウハウです。ところが、予期に反してフォーマットの小さい35mm判では精度が不足し「フィルム面の諸問題」に悩まされます。本機は1949(昭和24)年5月の発売ですが、国内市場にはほとんど出荷されなかった模様です。その貴重な一台を篠崎光弘さんが展示されました。蛇足となりますが、35mmカメラでバックフォーカス機構を実現したのは、1996年(平成8)年発売のコンタックスAXで、その間47年の月日が流れました。

 カラーフィルムが貴重だった頃のお話です。モノクロとカラーを使い分けられるカメラに需要が集まるとみて、企画、開発したメーカーが数多くありました。35mmフィルムで実現したのは西ドイツのアドックス300で、複数のフィルムマガジンを用意して、日中交換できるよう工夫したものです。1956年のフォトキナで発表、1957年4月に発売されました。日本のマミヤ マガジン35が同年4月と続きます。しかし、期待に反し売れ行きは伸びません。フールプルーフにするためには機構が複雑となり、その結果大きくて重たい高価なカメラになってしまったからでした。それなら、カラー用、モノクロ用に2台用意した方が経済的という結果となって、いずれも成功しませんでした。内田五三郎さんがマミヤ マガジン35を展示していました。マガジンの開口部をカバーするプラスティック板と革ケースは貴重です。
 以下持参カメラリストをご覧下さい。

'09/1月研究会持参カメラ一覧・・・基本的には持参者の記入通りとし明らかに誤記と思われるものは(編)で修正しました (敬称略、50音順)

持 参 者 カ メ ラ  名 製 造 会 社 フィ ル ム 国 名 発売年
浅沼宣夫 ニコンS 日本光学工業 135(24×34mm) 日本 1951
ミノルタ16Ⅱ 千代田光学精工 16mmフィルム(10×14mm) 日本 1960
シルヴァー スーパーシックス 日本光機 120(6×6cm、6×4.5cm) 日本 1953
モンテカルロ シャルル・モンティ 120(6×4.5cm) フランス 1948
伊木紀明 ミノルタ35 モデルE 千代田光学精工 135(24×34mm) 日本 1951
ミノルタコード オートマット 千代田光学精工 120(6×6cm) 日本 1955
マミヤフレックス C2 マミヤ光機 120(6×6cm) 日本 1958
マミヤシックス ⅣS マミヤ光機 120(6×6cm) 日本 1957
レコマー18 ナーゲル 乾板(6.5×9cm) ドイツ 1928
ニコンS2前期 日本光学工業 135(24×36mm) 日本 1954
ニコンS2後期 日本光学工業 135(24×36mm) 日本 1954
ニコンF 日本光学工業 135(24×36mm) 日本 1959
石橋直幸 ニコンS2 日本光学工業 135(24×36mm) 日本 1954
伊丹正晴 マミヤシックス(型名不詳) マミヤ光機 120(6×6cm) 日本
伊東幸男 ミノルタ16P 千代田光学精工 16mmフィルム(10×14mm) 日本 1960
ミノルタ16 千代田光学精工 16mmフィルム(10×14mm) 日本 1957
ミノルタ16EE ミノルタカメラ 16mmフィルム(10×14mm) 日本 1962
ミノルタ16EEⅡ ミノルタカメラ 16mmフィルム(10×14mm) 日本 1963
ミノルタ16QT ミノルタカメラ 16mmフィルム(12×17mm) 日本 1972
マミヤスーパー16 マミヤ光機 16mmフィルム(10×14mm) 日本 1951
マミヤ16 マミヤ光機 16mmフィルム(10×14mm) 日本 1949
メイスピーⅠa 東郷堂 無孔35mm(30×40mm) 日本 1950
稲田裕之 ミノルタオートコードL 千代田光学精工 120(6×6cm) 日本 1955
岩崎敏彦 ミノルタ35Ⅱ 千代田光学精工 135(24×34mm) 日本 1953
ニコンS 日本光学工業 135(24×34mm) 日本 1951
ネッター ツァイス・イコン 120(6×4.5cm) ドイツ 1938
ミクロマ メオプタ (11×14mm) チェコ c1949
ミノックスB ミノックス (8×11mm) 西ドイツ 1958
内田五三郎 マミヤ マガジン35 マミヤ光機 135(24×36mm) 日本 1957
鵜殿龍太郎 ニッカ5 ニッカカメラ 135(24×36mm) 日本 1955
大坂純史 ニッカ 3F ニッカカメラ 135(24×36mm) 日本 1956
ニコンS2 日本光学工業 135(24×36mm) 日本 1954
岡本貞雄 ニッカ 3F ニッカカメラ 135(24×36mm) 日本 1956
マミヤ スケッチ マミヤ光機 135(24×24mm) 日本 1957
神藤弘充 ニコンS2 日本光学工業 135(24×36mm) 日本 1954
ミノルタセミP 千代田光学精工 120(6×4.5cm) 日本 1951
ボレンダ3×4 コダックA.G 127(3×4cm) ドイツ 1931
清川 健 ニコンSP 日本光学工業 135(24×36mm) 日本 1957
小暮規夫 ネッター ツァイス・イコン 120(6×9cm) ドイツ 1949
ミカド セミ 隅田光機 120(6×4.5cm) 日本 1952
オートセミミノルタ 千代田光学精工 120(6×4.5cm) 日本 1937
ミノルタ35Ⅱ 千代田光学精工 135(24×34mm) 日本 1953
ミノルタA2 千代田光学精工 135(24×36mm) 日本 1955
ミノルタスーパーA 千代田光学精工 135(24×36mm) 日本 1957
ミノルタオートワイド 千代田光学精工 135(24×36mm) 日本 1958
ミノルタV2 千代田光学精工 135(24×36mm) 日本 1958
ミノルタAL 千代田光学精工 135(24×36mm) 日本 1961
ネオカ35 2S ネオカ 135(24×36mm) 日本 1956
ネオカ35A ネオカ 135(24×36mm) 日本 1957
マミヤ35Ⅲ マミヤ光機 135(24×36mm) 日本 1957
マミヤ35S2 マミヤ光機 135(24×36mm) 日本 1959
小滝日出彦 マキシマー ツァイス・イコン 乾板(6.5×9cm) ドイツ 1927
ミノルチナS ミノルタカメラ 135(24×36mm) 日本 1964
マミヤシックス オートマティック2 マミヤ光機 120(6×6cm) 日本 1958
小林昭夫 No.0フォールディングポケットコダック イーストマン・コダック 121(4×6.5cm) アメリカ 1902
No.0ブロウニーカメラ イーストマン・コダック 127(4×6.5cm) アメリカ 1914
小林まゆみ ニッカ33 ニッカカメラ 135(24×36mm) 日本 1958
篠崎光宏 マミヤ35(オリジナル) マミヤ光機 135(24×36mm) 日本 1949
マミヤシックスⅢ マミヤ光機 120(6×6cm) 日本 1942
マミヤシックスⅣ(前期) マミヤ光機 120(6×6cm) 日本 1947
メイカ35 明興社 135(24×36mm) 日本 1964
椙山捷三 ミズホシックスⅡB 瑞穂光機 120(6×6cm、6×4.5cm) 日本 1952
ミハマシックスⅡ 三浜精工 120(6×6cm、6×4.5cm) 日本 1953
高井弘善 ニコレックスズーム35 日本光学工業 135(24×36mm) 日本 1962
マイクロⅢA マイクロカメラ 特殊(14×14mm) 日本 1950
高島鎮雄 ミニヨン35B 東京光学機械 135(24×32mm) 日本 1948
ミッキー35 ミキカメラ ボルタ判(24×24mm) 日本 1953
ノボ35ⅡA 第百精光 135(24×36mm) 日本 1955
ネオカSVデラックス ネオカ 135(24×36mm) 日本 1959
竹内 久彌 モミコン モム(MOM) 135(24×32mm) ハンガリー 1954
モメッタ モム(MOM) 135(24×32mm) ハンガリー 1955
モメッタⅡ モム(MOM) 135(24×32mm) ハンガリー 1957
モメッタⅢ モム(MOM) 135(24×32mm) ハンガリー 1958
モメッタジュニア モム(MOM) 135(24×32mm) ハンガリー 1958
中村昭典 ゼニット-E KMZ 135(24×36mm) ソ連 1965
七井貞明 ミニアチュアリンホフ リンホフ 乾板(4.5×6cm) ドイツ 1931
長谷川幸也 マミヤシックス オートマティック2 マミヤ光機 120(6×6cm) 日本 1958
服部 豊 ミニヨン35A 日本光学工業 135(24×32mm) 日本 1948
ウエルスタンダードⅠ型 日本光機 127(4×5cm) 日本 1939
平形 信 ミノルタ35(型式不詳) 千代田光学精工 135(24×3?mm) 日本
マミヤフレックス オートマット マミヤ光機 120(6×6cm) 日本 1949
ミノックス ミノックス ミノックス(8×11mm) ?
藤岡俊一郎 ミューズフレックス モデルM 東郷堂 ボルタ(28×28mm) 日本 1957
ナハトエクサクタ モデルB イハゲー 127(4×6.5cm) 日本 1938
マスターレフレックス(アメリカ名
マイスターコレレ(ドイツ名)
ヴェフォ(WEFO) 120(6×6cm) 東ドイツ 1950
馬淵 勇 モンタヌス・スーパーレフレックスカメラ モンタヌス 120(6×6cm) 西ドイツ 1954
ピュピレ ナーゲル 127(4×3cm) ドイツ 1931
リブレッテ74 ナーゲル 120(6×9cm) ドイツ 1933
ニクセッテ ゲルラッハ(Gerlach) 120(6×6cm) 西ドイツ 1955
ミロナ メオプタ 120(6×6cm) チェコ 1952
ミロナⅡ メオプタ 120(6×6cm、6×4.5cm) チェコ
水川繁雄 ベビーミノルタ モルタ 127(4x6.5cm) 日本 1935
シンコーフレックス 120(直径6cmの円形) 日本 1940s
山口 満 ミニチュアクラップ(前期) エルネマン 乾板(4.5×6cm) ドイツ 1907
山前邦臣 ミランダT オリオンカメラ 135(24×36mm) 日本 1955
ネオカS F1.8  ネオカ 135(24×36mm) 日本 1960
デルモンタ モンタヌス 120(6×6cm) 西ドイツ 1954