イーストマン コダックから発売されたNo. 2 ブルズアイ コダック。カメラの赤窓を通してフィルムの裏紙に付けられた数字を確認することにより、撮影枚数とフィルムの位置を知り、かつフィルムの日中装填を可能にした最初のロールフィルムカメラとして歴史的なカメラである。オリジナルは1892年にボストンカメラ
マニュファクチャリングからブルズアイ ボックスカメラとして発売されたが、1895年にイーストマンコダックがこの会社を買収したことにより、このカメラはそのままNo.
2 ブルズアイ コダックと名前を変えて継続された。 |
イーストマン コダックから1900年に発売されたNo. 1パノラム コダック モデルD。
レンズは下左の写真のようにカメラ正面に対して直角方向に向いて収納されている。撮影前にカメラ上部のレバー(下右の写真の左側の下を向いたもの)を半回転させてシャッターをチャージする。シャッターボタンを押すと、レンズが前側で水平に回転し、反対側を向いて収納される。シャッターはこの間に動作し、6×17cmと横長の画面を得ることができる。当時のフィルムは105で、2枚しか撮影できなかったが、120フィルムを使うと4枚撮影できる。 |
セネカ カメラから発売されたNo. 2Cスカウト。
130フィルム(画面サイズ73.0×123.8mm)を使用する。 |
イタリアのミュレル&デュローニから発売されたミュレルズ エクスプレス。大名刺判(6.5×9cm)の乾板カメラで赤革の蛇腹が使われている。反射ファインダーに保護カバーが付いており、横に構える時はまずこの保護カバーを左上の写真のように横に開いてからファインダーを90度回転させ、カバーを元に戻し、カバーの横の穴から覗く。このカメラはベースボード上にレンズボードを引き出すタイプだが、向かって左側にある距離目盛部にあるレバーを必要な距離に合わせておくと、レンズボードは引き出した時にその位置で停まる工夫がされている。
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ドイツのG. A. クラウスから発売されたローレッテ。
このカメラはベースボードのレールにレンズを引き出すフォールディングタイプのロールフィルムカメラ。
ベスト判の127フィルム(画面の公称値4×6.5cm)用とよく間違えられるが、実際は129フィルム(画面の公称値5×8cmあるいは5×7.5cm)用である。
ローレッテには127用のカメラはないので、129フィルムが1950年代に販売中止になった以降、やや小形で1990年代まで販売された127フィルムの画面に合うマスクを入れて撮影した人が多かった。
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アトム判の代名詞となった有名な乾板カメラ、イカの「アトム」。
オリジナルはヒュティッヒから1908年に同名で発売。ヒュティッヒは1909年のイカの合同に参加したため、以後はイカ製となる。早くからセルフエレクティング方式を採用したカメラであり、横型と本機のような縦型がある。 |
1926年にツァイス イコンに加わったコンテッサネッテルが製造したアドロと思われる9×12cm判乾板カメラ。テスコ(Tessco)の可能性もある。 |
ドイツのエミールブッシュ(Emil Busch)の9×12cm判乾板カメラ、リリプット(Liliput)と思われるカメラ。蛇腹は2段伸ばしで、コイロスのシャッターがついている。このカメラの反射ファインダーは独特の構造をしており、やや湾曲した一枚の金属板にメッキを施した鏡からできている。ファインダーとして見るときは上に付いている指針の中央がこの鏡の中央にくるようにする。このカメラのレンズは前玉を外し逆向きにつけ、望遠撮影もできるようになっており、カメラに向かって右側に標準レンズの距離目盛が、左側に望遠とした時の目盛が付いている。 |
フランスのデマリア フレールから1900年に発売された乾板カメラのカレブ、本機は実在をほとんど知られていない珍しいカメラである。
画面サイズは9×12cm大陸手札判用で、黒革で覆った木製ボディおよび赤紫色の蛇腹と真鍮製のレンズボードを持っており、この時代の高級カメラの特徴を表す美しいカメラである。絞りは1、2、4、8・・・・といった表示がされており、1がF8、2がF11、4がF16に相当する。 |
イギリス製と思われるマガジンカメラ。メーカーやカメラ名は不明。カメラ後部に乾板ないしシートフィルムを6~12枚(乾板)または20~40枚(シート)収納しておき、撮影するごとにレバーなどで露光済みのフィルムを前に倒してカメラ底部に移動させ、カメラ裏蓋に付けられたばねの力により次のフィルムを撮影位置にセットさせる構造をしたボックスカメラ。 |
イギリス ブッチャーのスポーティ カーバイン、127フィルムを使うロールフィルム用ボックスカメラ。
ブッチャーは、最初はドイツのヒュティッヒから、127フィルムが発売された1912年にはイカからカメラの供給を受けていた。しかし1914年に第一次世界大戦が始まったため、カメラの供給を絶たれたブッチャーは、1915年にホートンと合併してホートン
ブッチャーとなり、そのブッチャー部門として営業を続けた。
このカメラは1912~1915年の間に作られたと考えられるが、当時イカにはロールフィルム用のボックスカメラは無いと思われるので、ブッチャーのオリジナルと考えられる。 |
独特の美しいスタイルもつニューマン&ガーディアのニュー スペシャル シビル。
ニューマン特許のエアガバナー付きレンズシャッターはほとんど無音、無振動に近い。シビルは1906年頃から発売され多くのモデルがあるが、本機は1913年発売の大名刺判(6.5×9cm)で、代表的なカメラである。反射ファインダーは蛇腹を引き出すと自動的に立ち上がり、レンズは上下左右のシフトが可能。ボディはアルミ合金に黒革を張ったものだが、矢来形のたすきやシャッターダイアル部などに洋銀が使われており、高級感がある。焦点調節は前のラディアルレバーを左右に動かして行います。 |
APM(Amalgamated Photographic manufacturers Ltd, London)のロールフィルム用ボックスカメラで、カメラ名は不明。
画面サイズは2-1/2×4-1/4インチで6.5×11cm相当。このカメラは非常に作りがしっかりしており、高級機の雰囲気がある。
フィルムの装填部分は前のレンズ部と片側の側板を除いて一体で外れる蝶番つきのボディにつけられている。
APMはイギリスのカメラメーカー、カーショーや感光材料会社のマリオンなど7社が1921年に合併して作った会社であったが、経営はうまくいかず、感光材料のグループは1929年に分かれてApemという会社になり、1932年にはイルフォードに吸収されてしまった。
残ったカメラメーカーのグループはそのままAPMとして1930年頃まで続いたが、その後ソホ(Soho Ltd.)のグループとして再グループ化され、APMの名前はなくなった |
イギリスのワトソン(W. Watson & Sons, London)から1886年に発売されたディテクティブカメラ。画面サイズは1/4プレート(3-1/4×4-1/4
in)用で8.3×10.5cm。
左上の写真はカメラの箱を写しているが、ご覧のようにこの箱は縦横二つのファインダーを持っておりカメラの一部になっている。カメラの本体は上右の写真のように箱の中にセットされており、ピントを合わせる時は写真上部に見えるレバーを箱の外から操作して、蛇腹を移動させる。絞りは下の写真のように大小の穴が開いた駒板をレンズ鏡筒部に上から差し込む。乾板ホルダーは3種類用意されていた。 |
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