全日本クラシックカメラクラブ
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>>  最 近 の 活 動 報 告  <<        (06年8月16日作成)
 今回のテーマは、ベスト(127)フィルムを使うカメラで4×6.5cm(ベスト判)以外のフォーマットである。よく知られているものは4×3cm(ベスト半裁またはベビー判16枚撮)と4×4cm(12枚撮)があるが、このほかに4×5cm(10枚撮り)と4×4.5cm(11枚撮り)がある。今回は10枚撮りと11枚撮りは出展はなかった。
 ベスト半裁のカメラが出現したのは1930年頃で、そのブームはほぼ10年間続く。研究会に持ち込まれた蒐集品の数々は、ほぼこの期間に集中している。
 第二次世界大戦後、カラー写真は
35mm(135)カラースライドから始まったが、1950年代の終わり頃、アメリカでは35mmスライドプロジェクターを利用するスーパースライド(4×4cm)がちょっとしたブームになり、日本からもこのフォーマットを使うカメラが各社から競って輸出されている。
以下当日展示された会員の逸品を紹介する。

2006年7月研究会持参カメラ一覧・・基本的には持参者の記入通りとし明らかに誤記と思われるものは(編)で修正しました(敬称略、50音順)
持 参 者 カ メ ラ  名 製 造 会 社 フィ ル ム 国 名 発売年
浅沼 宣夫 ベビー ボックステンゴール 54/18 ツァイス イコン 127(3×4cm) ドイツ 1931
ベビー ボックステンゴール 54/18(E)
伊丹 正晴 ベビー パール 六桜社 127(3×4cm) 1934
井上 秀夫 ベビー ボックステンゴール ツァイス イコン ドイツ 1931
岡田 万寿男 ベビー パール 六桜社 127(3×4cm) 日本 1934
ローライフレックス 44 フランケウントハイデッケ 127(4×4cm) ドイツ 1957
片山 良平 ベビー ボックステンゴール(原型) ツァイス イコン 127(3×4cm) ドイツ 1930
ベビー ボックステンゴール(フロンターおよびノバー付き) 1931
ベビー ボックス 1932
ベビー ボックス(最終型) 1937
スイス ボックス ズーター(Suter) スイス 1941
リリプット(Liliput)
GAP(3台) G.A.P. パリ フランス c1934
スーパー ボーイ REX 不明
神藤 弘充 ベビー ボックステンゴール(フロンター付) ツァイス イコン ドイツ 1930
ベビー ボックス 1932
ベビー ボックステンゴール(ノバー付) 1931
ベビー イコマット 1932
小林 昭夫 ドリー モデルA ツェルト 1930
 〃  モデルB 1934
ドリー 乾板兼用機 127(3×4、4×6.5cm)
乾板(4×6.5cm)
1936
ゾンニー(Sonny) 127(3×4cm、4×6.5cm)
小林 将利 ベビー パール 六桜社 127(3×4cm) 日本 1934
小林 泰人 コラ(KOLA) An-Rekolarレンズ付 V. Kolar 127(4×4cm)、無孔35mm(3×4cm)
有孔35mm(24×36mm)
チェコ
スロバキア
c1932
  〃     テッサー付 c1936
ランカ(Ranca) ナーゲル 127(3×4cm) ドイツ c1930
リリプット(Liliput) ズーター(Suter) スイス 1941
ベビー イコンタ (520/18) ツァイス イコン ドイツ 1930
笹沼 弘 ワルツ オートマット44 ワルツ 127(4×4cm) 日本 1959
城 靖治 スターレットカメラ コダック オーストラリア オーストラリア 1950?
ベラ(Bella) 44 ビローラ ドイツ 1958
鈴木 恭一 パーマ スペシャル R.F.ハンター 127(3.2×3.2cm) イギリス 1937
ゴルディ 3×4 ZEH(Zeh-Camera Fabrik) 127(3×4cm) ドイツ 1930
高島 鎮雄 エホー ボックス(Eho-Box) No182 エホー アルティッサ ドイツ 1932
クリクソフレックス(Clix-O-Flex) メトロポリタン インダストリーズ アメリカ 1947
フェックス スーパーボーイ フェックス/アンド(FEX/INDO) フランス
デコ・ピオニール コダック AG 東ドイツ 1954
ビーコン ホワイトハウス プロダクツ アメリカ 1947
コメット S ベンチーニ イタリア 1950
タニット フェラニア 1955
ヴェロ フォアー F スター カメラ ワークス 127(4×4cm) 日本 1938
フォトフレックス(ベークライト製、同型で金属製あり) フォトフレックスコーポレーション アメリカ c1950
コロネット ビクター コロネットカメラ カンパニー イギリス c1950
インフレックス パウル・フィート(Paul Vieth) 西ドイツ 1955
竹内 久彌 スイス ボックス ズーター(Suter) 127(3×4cm) スイス 1941
リリプット(色違い2種)
中田 慎一 プピレ(Pupille) エルマー付(ファインダー固定型) ナーゲル 1930
  〃    エルマー付(ファインダー交換可能) 1931
  〃    クセナー付( 〃 )
マキネッテ アンティコマー付 プラウベル c1930
  〃   (白)アンティコマー付
  〃    スープラコマー付
服部 豊 アルゼン 高橋光学 127(4×4cm) 日本 c1938
林 輝昭 リンクス U ポンティアック 127(3×4cm) フランス 1948
デルビー(Derby) フォス(Foth) ドイツ 1931
レティックス(Letix) 旭光学工業 127(4×4cm) 日本 1940
ロイコ(Roico) 理研光学工業
平形 信 ゲルト(型番不明) 高橋光学 127(3×4cm) 日本 1936
ツバサ ニューゴールド アラワシ オプトクローム 1939
ベビーロール レフ (固定焦点、反射ファインダー付)  湯沢製作所 1937
ベビースーパーフレックス(一眼レフ) ン光堂 127(4×4cm) 1938
ベビーパール(戦後型?) 小西六写真工業 127(3×4cm) c1945
藤岡 俊一郎 プピレ(Pupille)(ファインダー固定型) ナーゲル ドイツ 1930
デルビー(Derby) U フォス(Foth) 1931
ベビー イコンタ (520/18) ツァイス イコン 1930
コマフレックス-S 興和 127(4×4cm) 日本 1960
馬淵 勇 ゲルト DV 東亜光機 127(3×4cm) 1950
プピレ(Pupille) ナーゲル ドイツ 1930
フォレンダ(Volenda) 1931
コダック AG 1932
ゴルディ 3×4 ZEH(Zeh-Camera Fabrik) 1930
コロプリント ZEH(Zeh-Camera Fabrik)
Piccochic バルダ 1931
コレレ コッホマン 127(4×6.5cm、3×4cm)
ローライフレックス 44 スポーツ フランケウントハイデッケ 127(4×4cm) 1938
ロイコ(Roico) 理研光学工業 日本 1940
ソーヤーズ Mark W(プリモ ジュニアU) 東京光学機械 1958
水川 繁雄 プック(Puck) イジング(Ising) 127(3×4cm) ドイツ c1948
山前 邦臣 デルビー ルクス ガリュス(Gallus) フランス 1947
ゴルディ 3×4 ZEH(Zeh-Camera Fabrik) ドイツ 1930
パーマ プラス R.F.ハンター 127(3.2×3.2cm) イギリス 1952


 スイスのズーター社(E. Suter, Basel)が製造したベスト半裁の金属製ボックスカメラ。スイスボックスは1941年生まれ、リリプットはその改良型と言われており、シャッターボタンがボディ側面から天板に移動した。塗装は黒・緑・赤・青の4色の結晶塗りでかわいいカメラである。スイスボックス、赤のリリプット、青のリリプットは竹内久彌さんのコレクション、緑のリリプットは小林泰人(745)さんのコレクション。






 藤岡俊一郎さんのファインダーが固定されているプピレ(Pupille)初期型。

 プピレは
ドイツのナーゲル社(Dr. August Nagel Camerawerk, Stuttgart)で製造したカメラで、製造期間は1930年から1935年。

 1931年末、ナーゲルはイーストマン コダック資本の傘下にはいり、ドイツ コダック社(Kodak AG / Dr. Nagel Werk, Stuttgart)として再出発しした。従って、プピレのうちナーゲル社で製造されたものは1931年以前に限られ、それ以降はコダックAG製のプピレとなる。

 巻き上げノブを見ると、1930年製には Dr. Aug. Nagel Stuttgart と彫刻されているが、1932年以降はKodak Dr. Nagel Werk Stuttgartに変わる。

 標準装備のファインダーは折り畳み式だが、左隣の受け穴を使って反射式ファインダーを並べて差し込める。また、専用のアクセサリーシューを差し込んで、ライツの単独距離計を取り付けることもできる。






(上右の写真)
 中田慎一さんのプピレ。ファインダーが取り外し可能となったモデル。アクセサリーシューを差し込んで距離計を取り付けている。


(上左の写真)
 中田慎一さんのプピレ。フォーカシングファインダーを取り付け、ウエストレベルの二眼レフとして使う。
撮影レンズと連動するフォーカシング ファインダーの提供は1932年。このため、1931年以降のプピレでは、標準のファインダーが取り外せるよう本体の仕様が変更された。


(右の写真)
 同じく中田慎一さんのプピレ背面。フォーカシングファインダーを取り付け、アイレベルで使う。



(下の写真)
 中田慎一さんのプピレとフォーカシングファインダー。6本の足のうち、後ろの4本がボディの穴に入り、前の2本がレンズの穴に収まる。ヘリコイドの繰り出しに連動してファインダーの対物レンズが前後する。
     
 ドイツのプラウベル社(Plaubel & Co., Frankfurt)が、1930年頃に製造を開始したベスト半裁のカメラである。1920年に発売となる著名なプレスカメラ「マキナ(Makina)」のミニアチュア版で、姉譲りのメカニズムは精密感にあふれている。
 左は
中田博さんのマキネッテ、クロームメッキのレンズボードがまばゆい。右は同じく中田博さんのマキネッテで明るいズープラコマー付。
         
  ドイツのツェルト社がベストフィルム使用のカメラに与えた名称がドリーである。このベスト判・ベスト半裁兼用機は、セルフエレクティング式のフォールディングカメラで、撮影状態では、レンズボードはしっかり固定されてびくともしない。この時代のカメラの特徴で、フィルム専用機の他にフィルム・乾板兼用機がある。乾板とフィルムでは感光面の位置が物理的に異なるので、レンズの無限遠の位置も異なる。このためドリーでは、レンズボード下のレバーを180°回転させて位置の調整をおこなっている。
 写真左はゾンニー
、 ゾンニーはドリーの別名で本体はドリーと同じ。右はドリー。このドリーはベスト半裁、ベスト判と乾板のアトム判兼用機で、ヘリコイドによる距離合わせをもつ最高級機。いずれも小林昭夫さん所有。
  
 藤岡俊一郎さんのデルビーU、ドイツのフォス社(C. F. Foth & Co., Berlin)1931年から1936年にかけて製造したベスト半裁のカメラで、シャッターはフォーカルプレンでB 1/251/500秒、フィルム巻き上げとシャッターセットは連動していない。ファインダーの脇にセルフタイマーのセットレバーが見える。



 山前邦臣さんのデルビー ルクス。フランスのガリュス社(Usines Gallus, Courbevoie)が製造した4×3判のカメラ。1939年フォス デルビー(Foth Derby)のフランス版としてスタートしたが、第二次世界大戦後、アルミ研ぎ出しボディのデルビー ルクスで再出発した。間もなく「ビー」を抜いてデルルクス(Derux)と改名して1952年まで製造を続けた。
     
 ドイツのツェー社(Zeh-Camera-Eabrik, Paul Zeh, Dresden)が、1930年頃に製造したベスト半裁のカメラ、ゴルディ(左)とコロプリント(右)、この二つは異名同一機種。
 ツェー社はこのカメラを
OEM供給しており、ローデンシュトック社(Rodenstock)からはイーゼラ(Ysella)名で発売されている。ファインダー脇のボタンを押すと前蓋が開き、レンズボードがガイドレールに沿って前進するフォールディング ベッド方式。畳むときには、レンズボード上部両脇にある二つのレバーを押すだけで収納できる。初期型ではレバーを押す位置がボード上端だが、次のモデルでは押し込みボタンの位置がやや下に移動した。左が山前邦臣さんのゴルディ、レンズはツェカナー、リムセットのコンパーとの組み合わせ。 右は馬淵勇さんのコロプリントレンズ名もコロプリント、ダイアルセットのバリオとの組み合わせ
      
 小林泰人さん持参のチェコスロバキアのコラル社(Vaclav Korar, Modrany & Prague)が製造したマルチフォーマットのカメラ、コラ。製造期間は1932年から1936年と短期間で、かつコラル社は1935年に経営破綻し、生産台数は僅か7001000台と言われている。使用フィルムとフォーマットとの関係は、127では4×4cm12枚撮り、フィルム送りは赤窓。35mm無孔フィルムでは薄板のマスクをいれて3×4cm36枚撮り、35mm有孔フィルムでは、同様にマスクをいれて24×36mm36枚撮りとしている。 有孔・無孔とも35mmフィルムの装填は暗室作業で、長尺フィルムから巻き込む。左は初期のコラで、フロントパネルに円筒を熔接して、シャッターユニットとレンズを取り付けたシンプルな構造。レンズの焦点距離が75mmあるため鏡胴部が異様に長い。前玉回転による距離合わせ。右は後期のコラ。洗練された機能美が見事。ヘリコイドによる距離合わせ。レンズはテッサー60mm
  
 服部豊さんのアルゼン。
ゲルトの高橋光学が製造し、東京神田のアルスが発売元となって1938(昭和13)年に発売された4×4版のカメラ。アサヒカメラ昭和132月号に紹介されている。カメラの最大の特徴は、レンズキャップがボディに鎖で繋がっていることで、この鎖が大変貴重なもの。巻き上げノブを押しながら回す自動巻止め機構に故障が多く、完動品は少ない。



  

 高島鎮雄さんのヴェロ フォアーF
 販売元は大阪の「スター カメラ ウワークス(広告のママ)、総金属製で精密感あふれる4×4判のカメラ。
 
1938(昭和13年)年1月からアサヒカメラに広告が掲載されたので、発売は昭和13年と見られます。同年10月号の上田写真機店(心斎橋)の広告では、C型、D型、F型の3機種が出現している。ヴェロ フォアー各型に共通することは、沈胴式の鏡胴、自動巻止めのフィルム送り、ボディシャッターといった先進機構である。

(写真上左)
 藤岡俊一郎さんのコマフレックス-S
興服産業光学部が1960(昭和35)年に製造した
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×4判のレンズシャッター式の一眼レフ。同年1月号のカメラ芸術に今月の話題として取り上げられているが、広告は見あたらない。スーパースライド用の輸出専用機種と見られている。レンズ交換はできないので、広角と望遠のコンバージョンレンズが用意されている。なお、興服産業の日本写真機工業会の登録社名は、同年5月に興和に変更している。カラーリングやファインダーフードの構造がベビーローライを踏襲しているのは、対米輸出のためか。

(写真上右)
 笹沼弘さんのワルツオートマット 44ワルツカメラ(Walz Camera)社が製造し、ワルツ(Walz)社が発売元の4×4の二眼レフ。1959(昭和34)年の発売で、同年7月号のアサヒカメラの新製品メモに紹介されている。見た目はローライフレックス グレイ ベビーのそっくりさんだが、距離合わせをノブからレバーによるヘリコイドに変更している。レンズはアメリカで知名度の高いズノーのF 2.8。

(写真左)
 馬淵勇さんのロイコ。
「東京京橋區の理研光學工業写眞機部」(広告のママ)1940(昭和15)年に製造した4×4判のカメラ。同年3月のアサヒカメラの広告欄には、カイカ、キンシと共に発売の予告が出ている。理研光学の予告広告ではシャッターの最高速は1/250秒、しかし現物は1/200秒なのはなぜだろう。精度のでない1/250秒はあきらめ、1/200秒に仕様変更して発売したとの見方ができる。この推測が正しければ、発売年は1年遅れの1941(昭和16)年にる。