←ドラえもんの「ポケット」よろしくポケットから色々なものを取り出してお話しされる服部豊さん。
今年初めての研究会は、当会きってのニコンの権威、服部さんのニコンレンジファインダーカメラのアクセサリーの話から始まりました。
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35mmレンズ用ミニファインダー。ニコンS2のボディーに取り付けたまま速写ケースを閉じることができるよう、ファインダーは薄型でアクセサリーシューからオフセットされています。ゴミ混入が多いが、薄い接眼レンズを破損することは多いので分解は危険です。1957年の製造とされています。 |
服部さんのコレクション。ニコンSP専用のファインダーイルミネーター。
ブライトフレーム用採光窓の照明装置で、夜間の暗い場所での撮影に役立ちます。黒い円筒内に単3電池1本とランプが入っています。 |
巨大な専用フードの付いたニッコール5cm F1.1を装着したタワー(ニッカ5L)
アクセサリーには5cmレンズ用アルバダ式光像ファインダーが装着されています。
同じく服部さんのコレクションです。 |
小林泰人さんのコレクションのニコンオート35。1963年のフォトキナで発表され翌年9月に発売されたシャッター速度優先のEEカメラ。大変きれいな個体で完動品です。篠崎光宏も持ってこられました。
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篠崎光宏さんのオリンパス35 T型画面サイスがいわゆるニッポンサイズの24×32mm。1949年発売のW型から24×36mmのサイズになります。ニッポンサイズは最近デジタルカメラの受光素子で再び脚光を浴びています。 |
長谷川幸也さん所有のオリンパスエースアウトフィット。オリンパスが初めて開発したレンズ交換式35mmカメラです。シャッターをボディ−内におくビハインド・ザ・レンズシャッターでレンズ全群を交換する方式。シャッターはコパルが開発したバヨネットマウントです。1957年発売のヴィテッサのデッケルマウントに遅れること1年でした。 |
篠崎光宏さんが持参されたオリンピアSSは謎に包まれたセルフエレクト・フォールディングカメラ(いわゆるスプリングカメラ)です。いつ頃どういう会社が作ったのか未だに分かりません。
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小林泰人さんの持参されたニューマン&ガーディア社のトレリスは木製のフォールディングカメラです。ベースボードが2段に延びるので、広角から長焦点レンズ、また近接撮影にも対応できます。
大変精巧に作られたカメラで現在もストレスなく動作しています。
小林さんによれば、製品はすべてオーダーメイドで、乾板サイズ、シャッター、レンズを指定して注文したものだそうです。 |
高島会長のコレクション ニューマン&ガーディア製のニディア、左は折りたたんだところ、右は撮影態勢の状態。後ろの緑色の帽子状のものは乾板のクイックチェンジシステム。8枚のとり枠を次々と交換して撮影できるようになっています。
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竹内久彌さんのコレクション。
左はチェコスロバキアのオカム社製オカムと言うカメラです。木製のボックスカメラですが、レンズと乾板の間に2枚のドアがありレンズを挟み込んで遮光し、シャッターボタンを押すと第1のドアが回転して乾板に露光し続いて第2のドアが回転して遮光するという、きわめてユニークなシャッター構造をしています。
右はスイスのマッサーニョ社製のオ・カイというカメラで、単速シャッターの初心者用カメラ |
小林昭夫さん所有の6×9cm、6×4.5cm兼用のスプリングカメラで、販売元は独シュトレンゲンベルクのコンラッド・A・ミュラー社、製造元はバルダ社。
ドイツではこのようなOEM供給は戦前戦後を通じて日常茶飯事であったようです。
文献によれば、この他にバルディナもノリス名で供給されていました。
ミュラー社は1904年創立のカメラメーカーで多くの乾板カメラやロールフィルムカメラを製造していましたが1935年頃にはバルダ社から供給を受けて販売をしていたとのことです。 |
城靖治さんが持参されたニクセ
イカレッテのシートフィルムとロールフィルム兼用機に与えられた名前で、ツァイス・イコンから発売されたカメラでは上位機種に属します。
感材のサイズによって、シートフィルム6.5×9cm
(ロールフィルムで6×9cm )、9×12cm(同8×10.5cm)、9×14cm(同8×14cm)の3種類有ります。
城さんのものは一番大きい9×14cmのものです。
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同じく城さんのコレクションのネッテル。
大きなフォーカルプレーンシャッターの設定ダイヤルが目につくプレスカメラです。
この中では一番小さなアトム判のカメラでレンズはテッサー8cm F2.7の当時としては明るいレンズがついています。 |
研究会の様子 |