吉田安夫さんのロシアカメラ、手前左はフェト1d(F2レンズ付)、同右ゾルキ1c、奥は1952年発売のキエフU型 |
ソ連製カメラに詳しい吉田安夫さんに「フェト(FED)1から始まったロシアカメラ」という題で、1991年ソ連が崩壊後、今までベールに包まれていたソ連のカメラ工業会の戦前から戦後にわたる変遷を詳しく話して頂きました。
お話の内容は’04年12月配布の会報54号に掲載してあります。
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服部豊さん所有のTCBBC(TSVVS)と言うカメラ。キリル文字のTCはTopographic
Department、BBCはAir Forceのことで旧ソ連空軍地形局(?)御用達の軍用カメラと言われています。
カール・ツァイス・イエナ製のゾナー付き、マウントは外側マウント無しで50mm標準レンズ専用機。しかもビューファインダーは80〜90mmとなっており謎の多いカメラです。
右のマウント部詳細写真で分かるようにボディー取り付け用の四角いベースと一体加工されたマウントには外側のマウントはありません。
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同じく服部さんのアウローラ(ABPOPA)-2、キリル文字のABPOPAはラテン文字ではAVRORAでアウローラと読むそうです。
1967年ロシア革命50周年を記念して作られたものと言われています。
軍艦部上面にロシア革命50周年を記念する1917と1967の年号、及びロシア革命蜂起を号砲で合図した、ロシア海軍軽巡洋艦「オーロラ(アウローラ)号」、クレンムリンのシンボル「スパスカヤ塔」、ソ連の誇る「宇宙ロケット」を描いたものだそうです。カメラの名前はこのオーロラ号にちなんでいます。この軽巡洋艦オーロラ号は記念艦として今もサンクト・ペテルブルグのネヴァ河畔に係留保存されています。
左の写真はオーロラ(アウローラ)号3本煙突がイラストそっくりです。
このオーロラ号は、日本海海戦の生き残りで日本人にとって因縁深い軍艦です。
カメラ上部の図柄(オーロラ号他)に関する説明文は千葉県在住のI.
K.氏のご指摘により事務局で内容を修正致しました。
(2005年3月13日、AJCC事務局)
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高橋正さん所有のサリュートC(S)、ハッセルブラッド1000Fのコピー機だが、ハッセルブラッドとのレンズの互換性はないようです。
標準レンズの90mm F2.8は、よくできたレンズでよく写るとのこと。
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同じく高橋さんの現代ロシアで作られたホライゾン202、カメラにはMade
in Russiaと書かれています。
35mmフィルムに24mm×58mmのパノラマ写真が撮れます。 |
これも高橋さんのカメラで、6×6判ベークライト製ステレオカメラ、スプートニク。
ファインダーは二眼レフ方式でビューレンズの鏡筒に付けられたギアが両側の撮影レンズのギアとかみ合ってピント調節をします。
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林勝夫さん所有のソ連製35mmレンズシャッターカメラ「ヴォスホート」
焦点合わせは距離計非連動、全玉回転式です。
フィルム巻き上げはコニカV型のようにシャッター横に付けられたレバーを押し下げて行います。
大きなファインダーとセレンの露出計が横長手方向に付けられており細長い形が特徴です。
林さんのものは露出計を含め完動品です。 |
竹内久彌さんのポーランドWZFO (Warszawkie
Zaklady Foto - Optyczne)社製35mmレンズシャッター機 アルファ2台(奥左の2台)とアルファ2が6台。カラフルでかつユニークな形のカメラで、色は8色あるとのこと。
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林輝昭さん持参の同じくポーランドWZFO製二眼レフ2台。
ノコフレックスとスタルト(START)
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HP担当の林田持参のレニングラート、ロシア語の取扱説明書付。強力なスプリングモーターのため耐久性に乏しく動かないものが多い中で、珍しくこれは完動品です。
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同じく林田所有の中国製1眼レフ35mmカメラ。左の珠江は外観的にはニコンF2コピー機ですがレンズマウントや巻き上げ機構はミノルタ類似です。海鴎(Seagull)はミノルタSR2のコピー機で一見するとミノルタと見間違えてしまいます。珠江と海鴎は同じミノルタマウントながら若干違いがあり相互の互換性がないものが多い。ミノルタにはこれらのレンズを装着しない方がよさそうです。 |
林田が中国で購入したカラーフィルム。いずれもISO100。
左はコダックカラーフィルム、右はラッキーカラーフィルム。 |
上海58-Uは城靖治さん、長谷川幸也さん、嶋田健さん、山前邦臣さんの4名が持ってこられましたが、これは長谷川さんの上海。新品同様で皮ケース付き。上海はライカVのコピーですが1眼式距離計付きなのでキヤノンSUコピーとも言えます。 |
嶋田健さん所有の紅旗20、毛沢東夫人の江青女史の指示で1969年に中国建国20周年を記念して、ライカM3にまけないカメラとして作られたカメラ。
嶋田さんは50mm/F1.4の標準レンズのほか35mm/F1.4、90mm/F2と3本全部揃えられています。カメラ上部に赤い字で書かれた紅旗の文字は毛沢東の筆跡と言われています。上海の愛好家グループが編集した「相機博覧」という資料には1970年から79年にかけて271台製造されたとあります。 |
嶋田さん所有の「労動」カメラ、富士ペットのコピー機
6×6判と、マスクを付けて6×4.5(セミ)判として使えます。 |
山前邦臣さんと浅沼宣夫さんは、長城 DF2を持参されました。
写真のカメラは山前さん所有のものです。
6×6判とセミ判共用機です。
このカメラはドイツKW社のピロートスーパーのコピー機でDF1からDF4まであったそうです。ちょっと目にはピローとのコピーにはみえない印象があります。
レンズマウントはライカと同じ39mmなのでライカレンズが使えるとのことです。 |
小林昭夫さんの所有するKW社のプラクチカ各種
手前左プラクチカ、右同FX、奥左同FX2、右FX3 |
高島会長所有のチェコスロバキア製6×6判レンズシャッター機エピフォカ。
レンズはルーヴィッヒのビクター、シャッターはプロンターと主要部はドイツ製部品を使用しています。
レンズは固定式なので航空カメラとして使われたのではないかと思われます。 |
高島会長が持参された東欧諸国のカメラ、右からルーマニア製35mmレンズシャッター機オリゾント、ハンガリーの6×6判レンズシャッター機でベークライト製のユティタルス(東西ドイツで生産されたポウバ(POUVA)と言うカメラのコピー機)、
ポーランド製35mmレンズシャッター機フェニックス1b。 |