高島会長から世話人会の議事報告などがありました。銀座アートプラザが来年7月以降閉鎖が決定したため、’05年秋の写真展から別の会場になること、新しい会場については現在銀座を中心に探しているとの報告などがありました(その後会場については銀座松屋前の松島眼鏡店2階のギャラリーと決定しました)。 |
No.3Aオートグラフィック・コダックジュニアを手に改造の内容を説明する鈴木恭一さん。改造前のジャバラはほとんど原形をとどめないボロボロの状態でしたが、写真でおわかりのように赤いジャバラが貼られ新品同様によみがえっています。使用フィルムは122ですが120フィルムが使えるアダプターも工夫されています(左下写真参照)。 |
鈴木恭一さん考案の122フィルムカメラ用120フィルムアダプター。
詳細は会報53号(会員のみ配布)に掲載してあります。 |
会報52号から始まった前会報編集者中村雅夫さんの「クラシックカメラエッセイ」の記念すべき第1回目に登場した「ローマー63」の実物を紹介する中村さん。
中村さんのクラシックカメラエッセイは、クラシックカメラにまつわるちょっといい話を取り上げ中村さんの絶妙な語り口で書いて戴いています。
今後しばらく連載の予定。 |
コダックのインスタマチックカメラで一世を風靡した126カートリッジフィルム使用のカメラたち、フィルムもなくなり、収集棚で棚晒しになっているのが実情でしょう。
松尾良彦さんは35mmフィルムをカートリッジに詰め込む方法と126カメラの改造方法を紹介されました。そのうち会報で詳しく紹介する予定です。 |
小林泰人さん持参のチェコスロバキア、コラール社製の「コラ」。
このカメラは127フィルムに3×4センチ、4×4センチの2種類のフォーマット、さらに専用カートリッジ入りの無孔35mmフィルムで24mm×36mmと、マスクを交換することで3種類のフォーマットに対応しています。
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左の写真は片山良平さんの「幸福」と言う名のカメラ。
中国天津製作所の製造で1959年発売。右はこのカメラの本家アルティッサ・ブリラントで、このカメラの発売は1936年。幸福という漢字の表記やいかにも中国という感じのレンズ周り模様を除いて、同寸法のそっくりさんです。ドレスデンから天津までの長旅に23年かかったのでしょうか?(アルティッサの写真はMcKeown's
Price Guide to Cameras 2001 - 2002 page184より転載) |
馬淵勇さん持参のミラノにあるフィルムメーカー、フェラニア社のコンドルT型(左)とコンドルU型。フィルムメーカーフェラニア社ではコダックに倣って感材の販売促進用に初心者向けのカメラを製造販売していましたが、1950年頃工場を整理して自社製造を中止、このコンドル1型はフェラニアが最初に外部製造委託したカメラと思われます。連動距離計付きでライカコピーに見えますがレンズシャッター付きの35mmカメラです。同じミラノにあるガリレオ・オプティカル社が1947年から製造販売していたものを同一カメラ名で販売したもの。コンドルU型はレバー巻き上げセルフコッキング、一眼式レンジファインダー、クランク式巻き戻しと近代化したものです。 |
これも馬淵さん持参のフェラニア社のカメラ、エリオフレックスです。
二眼レフの形をしていますが、大きなビューファインダー付きボックスカメラです。ビューレンズは固定されているので、ファインダーによる距離合わせはできません。 |
山口 満さんが持ってこられたデルビー3機種
ベルリンにあったC.F.フォス社が製造した画面サイズ3×4cm(127)の小型カメラで、輸出先のディーラーが距離計連動に改造したためフランス型とアメリカ型が派生しました。
向かって右端が原型デルビーUで距離計無し。左端がフランス型。
中央がアメリカ型で連動距離計が前部レンズボードに取り付けられており、取り外し可能なのでどのボディーにも装着できます。 |
長谷川幸也さんのクロバーシックス(クローバーとするのが良さそうですがメーカーの広告はクロバーとなっています)。戦前の代表的国産スプリングカメラで、向かって左が最初期型、右が2型です。画面サイズは6×6センチ(120)です。2型ではシャッター上部の反射ファインダーが無くなり、ボディーレリーズが追加されています。
最初期型発売後まもなく2型が発売されたので、最初期型は製造台数はごく少量であったと考えられます。 |
露光計いっぱいのプリントで説明する浅沼宣夫さん。アクセサリーや露光計など小物を紹介する方法について、このような一覧形式ではどうかとの提案です。 |