篠崎光宏さんのカメラ。戦後の混乱期に作られた珍しいカメラで手前左がルック、同右はモンテ35、奥左はモリスフレックス、同右がミコノフレックス、1989年1月発行のカメラコレクターズニュースの谷村吉彦さんの記事に、モリスフレックスは森製作所が3台試作したとあり、これはその3台のうちの1台かもしれません。 |
長谷川幸也さんのカメラ、奥は音羽光機が1947年頃発売したと思われる、セミ判スプリングカメラ、ミドル(Middl、最後の"e"はありません)
手前2台は信濃光機が1954年頃発売したラコンC。1952年発売のラコン35の後継機。この後1955年には単独距離計付きラコン35Rを発売しています。 |
林輝昭さん持参のカメラ、左からマミヤが1948年発売したマミヤフレックスジュニア、東郷堂(戦後一時期ミューズオプチカルワークスと称した)が1953年と1948年に発売した、ミューズフレックッス(中央)とメイカイフレックス(右) |
マミヤフレックスジュニアの巻き上げノブ
メイド・イン・オキュパイド・ジャパンとあります。 |
竹内久彌さんのイタリアGGS社が1946年に発売したラッキー(左)とラッキーフレックス。ラッキーは3千台、ラッキーフレックスは2千台しか製作されなかったという貴重なカメラです。 |
馬淵勇さんのカメラ、左から隅田光機が1952年に発売したミカドセミ、ドイツモンタナス社が1954年に発売したモンタナス・スーパーレフレックスカメラ(中央)、チェコメオプタ製スプリングカメラ、ミロナ(右) |
写真左はエンサイン・マルテックス・モデル0を片手に説明する笹沼弘さん。
エンサイン・マルテックス・モデル0(右の写真)は1938年頃英国ホートン・ブッチャー社から発売されたベスト半裁判のフォーカルプレーン機。
エンサイン・マルテックスは1936年頃世界初の距離計連動ベスト判カメラとしてモデルTを発売しています。これは軍艦部が黒塗りでクラシックな形態をしています。 |
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写真左、マーシャルプレスを説明する五十嵐登さん。
マーシャルプレス(左の写真)は当会のクラシックカメラの定義からははずれますが、1966年マーシャル光学から発売された120フィルム使用の6×9cm判プレスカメラ。
間宮精一氏の設計で有名です。
レンズはニッコール105mm、135mm用と150mm用のテレコンバーター付き。 |
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左と上の写真は高島会長持参のフランス、ラ・シェーズ社から1955年に発売された35mmレンズシャッター機、メシルックス(Mecilux)
距離調節は目測式の普及機ですが、シャッターと絞り調節がプリミティブなプログラムシャッターとなっています。たとえばシャッター速度をノーマル位置にして、絞りリングを快晴に合わせておきます。この状態でレンズ左のレバーをスポーツに合わせると、シャッター速度と絞りが同時に同じ露光量になるように変化します。 |
同じく高島会長のカメラで左は1925年仏モリエール社から発売されたル・サン・ビュー(Le
Cent Vues)。35mmフィルムにハーフサイズで100枚撮影可能で、カメラ名はそのものズバリの「100枚撮り」です。
中央はドイツ、レビュー・ロート社から1915年に発売された35mmカメラでハーフサイズで50枚撮影します。
右は仏ジャピー兄弟社から1898年に発売された史上初のスプリング・モータードライブのカメラ、ル・パスカル。フィルム装填側にスプリングモーターがあり、最初にフィルムを巻き取るとフィルムに引っ張られてバネに蓄勢され、撮影の度に1コマ宛戻ります。フィルムは42mm幅 |