AJCCの歩み

(2012年4月作成・2019年4月改訂)

年月日 主な出来事
1980年 全日本クラシックカメラクラブ(All Japan Classic Camera Club, AJCC)発足。
事務局は中央区銀座の数寄屋橋近くのアサヒソノラマ社カメラレビュー編集部内におかれた。
事務局長は白井達男氏、代表や会長はおかなかった。
当時の入会金は3,000円、会費は2,000円/3年であった。
1980年5月 第1回撮影会を開催。皇居前楠公銅像前で記念写真を撮影。撮影したカメラは全紙判の組立暗箱であった。
1980年秋 第1回AJCC写真展を「銀一CO-CO」で開催。
1981年9月 事務局長の白井氏が他界。それに伴い会長職を設ける事とし、初代会長に松田二三男氏が就任。
事務局長としてカメラレビュー編集長田中洵氏が就任。事務局長を補佐する為に世話人会を立ち上げる。
1984年 事務局を千代田区三崎町寿光ビル内の会員・伊豆倉和幸氏の三幸企画社内へ移る。
1985年 AJCC 会報 第1号を発行。
1986年 年会費を1,000円と改訂。
1987年 年会費を3,000円と改訂。
1987年7月 千代田工科芸術専門学校で第1回の研究会を開催。
1988年7月 千代田工科芸術専門学校で第2回の研究会を開催。
1988年7月中旬 三幸企画社の千代田区三崎町から、文京区春日のモナーク後楽園への移転に伴い、AJCCの事務局も同所に移転する。
1988年 この当時のAJCC写真展出展料は2,000円であった。
1989年7月 千代田工科芸術専門学校で第3回の研究会を開催される。
この時、松田二三男会長から次期会長として高島鎮雄氏が推薦される。
1993年1月 (財)日本写真機光学機器検査協会(JCII、現日本カメラ財団)会議室で開催されたAJCC総会で高島鎮雄氏が会長として承認され、引き続きAJCCの研究会が開催された。
この時クラシックカメラの定義を当初の「1955年以前に発売されたカメラ」から、「1960年以前に発売されたカメラ」に変更した。
この当時の研究会開催は現在の6回/年ではなく、もっと回数が少なかった。
1993年3月 写真展会場を銀座アートプラザに固定し、春秋の定例とした。この時から出展料は7,000円となる。
1995年7月 新企画の「クラシックカメラ研究会」の第1回がJCII会議室で開催される。この時から「クラシックカメラ研究会」は6回/年(奇数月第2土曜日開催)の開催となる。
1996年1月 三幸企画社が文京区春日から神田須田町「須田町駐車場ビル」への移転に伴い、AJCCの事務局も同所に移転。
1996年6月 AJCC主催の「クラシックカメラで銀座歩行者天国を写す」が開催された。
このイベントは、当時麻布霞町にあったペンタックス・ギャラリー・カメラ博物館が主催して、1971年から開催されていたが、同博物館の益子町への移転後、AJCCがその開催を引きついだ。
その後「写真の日(6月1日)」に近い日曜日にAJCC主催で開催。
1997年5月 研究会参加費が500円から1,000円となる。
2000年4月 AJCC 会報 は、6回/年の発行となる。
2000年6月 AJCCのWeb site が http://www.ajcc.gr.jpとして開設。
2001年9月 世話人会で新しく会則を作ろうという気運となる。当時あった会則は簡単なものだったので、新しく作る事となった。
2001年10月/6日~ 数次にわたる会則の打ち合わせにより、2001年12月3日に会則(案)が完成。
2002年3月 AJCC総会で新会則が承認される。
2002年2月 三幸企画社の神田須田町からの転出に伴い、同所をAJCCの事務局とする。
2002年度 年会費が5,000円に改訂される。
2002年始め AJCC 会報 の発行が4回/年となるも、6回/年が望ましいとの事で、同年8月号から隔月発行となる。
2002年4月 「カメラ修理勉強会」が第1、第3木曜の午後に開催される。
2002年秋 AJCCのe-mailを開設。メールアドレスはajcc@alpha.ocn.ne.jp。
2003年秋 「カメラ修理勉強会」が、第1木曜午後、第4土曜の午前と午後の3回開催される事となる。
2004年12月 12月23日から2005年1月2日まで台湾、高雄市で当地の写真クラブ「高雄市攝影學會」(理事長荘其昌氏、1960年創立、会員数約500名)との合同写真展(AJCCはクラシックカメラで撮影した作品)を開催した。
2005年 他に似たような団体名があるので区別を明確にするため、AJCCのe-mail address をversajcc@dolphin.ocn.ne.jp に変更。
2005年1月 本年がAJCC発足25周年にあたるため記念事業として会員にによるクラシックカメラで撮影した作品集を製作することを決定。作品募集案内を2月発行の会報55号に掲載。
2005年3月 今までの「世話人」、「世話人会」を「幹事」、「幹事会」と改める。
2005年9月 銀座アートプラザの閉鎖に伴い、写真展会場を銀座中央通りの松島眼鏡店2階ギャラリーへ変更する。
2005年10月 写真集「全日本クラシックカメラクラブの25年」と題するクラシックカメラによる作品集を発行。
2006年1月 クラシックカメラの定義を「1965年以前に発売されたカメラ」と改訂。
2006年秋 写真展出展料を7,000円から10,000円とする。
2007年2月末 AJCCの事務局を神田須田町から豊島区巣鴨のコヤマビル4階へ移転する。
2009年9月 2010年AJCC発足30周年記念事業として日本カメラ博物館と共同して「ツァイス・イコン・カメラ展」開催を決定。
会員の所有するツァイス・イコンおよびその前身会社のカメラを展示する計画を会員に発表、ツァイス・イコン・カメラ展実行委員会を組織し準備作業に入る。
2010年6月 ツァイス・イコン・カメラ展を日本カメラ博物館と共同で開催。日独交流150周年記念行事として、ドイツ連邦共和国の後援を得た。
第1期「ツァイス/イコンの前身会社のカメラ」6月29日~8月29日
第2期「ツァイス・イコン成立後の発売されたカメラ」9月7日~11月21日
2010年7月 7月17日と24日第1期ツァイス・イコン・カメラ・シンポジウム(講演および座談会)をJCII会議室で開催。
17日 ①カメラ発達の歴史と初期のドイツカメラ(高島鎮雄)、②ツァイス・イコンの設立とその活動(竹田正一郎)
24日 ①テッサーとその後のレンズ(清原元輔)、②座談討論会「ツァイス・イコンのカメラが日本に与えた影響(座長:萩谷剛、座談メンバー:白松正、豊田堅二、根本泰人、高島鎮雄)
2010年10月 10月2日と9日第2期ツァイス・イコン・カメラ・シンポジウムをJCII会議室で開催。
2日 ①イコンタの登場と世界に与えた影響(小林昭夫)、②コンタックス対ライカ(高島鎮雄)
9日 ①ツァイス・イコンの一眼レフカメラ(湯淺謙)、②座談討論会「世界初のアイレベル一眼レフは?」座長:高島鎮雄、座談メンバー:小林泰人、竹内久彌、林田吉弘、湯淺謙、吉田稔。
2011年2月 松島眼鏡店2階の展覧会場の閉鎖に伴い、写真展会場を銀座電通通りのサロン・ド・Gへ変更する。
2012年11月20日~
2013年2月24日
AJCC30周年記念事業の一環として「フランスカメラ展-失われた時を求めて」を日本カメラ博物館と協同し、また在日フランス大使館及びフランスのニエプス・リュミエール・クラブの後援を得て開催した。
2015年4月 AJCC30周年記念事業として行った「ツァイス・イコン展」の成果のまとめとして図録「ツァイス・イコンとその前身会社のカメラ」を完成(35mmカメラを除く、35mmカメラについては現在制作中)、会員への頒布を開始。
2016年3月 2016年度総会において高島鎮雄氏が会長を退任し、新に竹内久彌氏が会長に選任された。高島氏は新たに設けられた名誉会長に推挙された。
2016年5月 日本カメラ委員会(委員長小林昭夫、委員-竹内久彌、山前邦臣、矢澤征一郞、小滝日出彦、浅沼宣夫、鍋田道雄、林田吉弘)を発足。世界に発展していく前の日本のカメラについて調査し、本としてまとめる。
2016年10月 2016年2月~4月に実施した写真展作品撮影カメラの発売年制限に関するアンケート調査結果をベースに幹事会で検討した結果「カメラの発売年制限」を撤廃し「銀塩フィルム(乾板)カメラ」であれば全てOKとすることを決定。2016年春の作品展から実施し、適当な猶予期間をおいて再検討することとした。
2018年1月 平成が翌2019年に終わり平成最後の年を記念して、クラシックカメラによる写真集「平成の記憶」を制作することを決定。編集委員:林田吉弘、山前邦臣、小松輝昭、鍋田道雄、小山昌男、編集顧問:高島名誉会長、竹内会長で発足。
2018年10月 写真集「平成の記憶」完成、出品者5部、一般会員1部配布。