平成20年3月8日(土)午後2時から3月の研究会がJCII6階の会場で開かれ、約60名の参加者がありました。今回の研究会テ-マは、「ノンセクション+1960年から1965年の間に製造(正しくは発売)されたカメラ」でした。最初にこの時期のテーマに相応しいコンパー ヴァイトマウント(通称デッケルマウント)のレンズやカメラについて湯淺謙さんから話がありました(この内容は次回の会報に掲載予定)。
1960年から1965年までの5年間は、日本のカメラが世界のカメラとして急激に躍進していく発展期に当たります。それまでに努力、蓄積した日本の技術が結実したものと言え、その数年前を含めカメラ史に残る優れたカメラが次々と生まれました。1962年には日本のカメラは生産台数(312万台)と販売高(334億円)が初めて西独(258万台と205億円)を抜き、以後カメラ王国の地位を不動のものとするとともに、欧米のカメラ産業を衰退させていくことになります。この期間の日本カメラの特徴として次のような点が挙げられます。
1.
- 35mmフォーカルプレーンシャッター一眼レフのTTL測光方式の実用化。
トプコンREスーパー(1963)(萩谷剛さん持参)、アサヒペンタックスSP(1964)。
- 35mmレンズシャッター一眼レフのクイックリターンミラー化と自動絞りの実現。
トプコンウインクミラー(1960)。
- 同レンズシャッター一眼レフのAE化。
コーワH(1963)、トプコンウインクミラーS(1963)、ミノルタER(1963)、トプコンユニ(TTL方式、1964)など。
- 35mmレンズシャッター機のAE化。
オリンパスオートアイ(1960)、リコーオート35(1960)、キャノネット(1961)(中村昭典さん持参)など。
- 電子制御式レンズシャッター機の登場。
オリンパス35LE(1965)、キャノネットQL19E(1965)など。
- 35mmレンズシャッター機におけるハーフサイズ判の急激な生産台数の増加。
1964年にハーフサイズ判の生産台数がフルサイズ判を越えた。
日本カメラ発展の原動力となったのは、主に35mmフォーカルプレーンシャッター一眼レフなので、当時の状況を簡単に展望してみます。1954年春に発表されたライカM3の完成度の高さは、それを凌駕する開発の困難性から日本の主要メーカーを一眼レフの開発に注力させるきっかけとなりました。日本で最初に発売された35mm一眼レフは1952年のアサヒフレックスですが、これは左右逆像のウェストレベルファインダーを持ったプラクティフレックスに近い製品であり、1949年に発売された東独のコンタックスS、イタリアのレクタフレックス、スイスのアルパレフレックス、ハンガリーのデュフレックスが正立正像のファインダーを持っていたことと比べるとまだ遅れていたと言わざるを得ません。しかしながらその後1960年台の初頭までの短期間にペンタックス、ミノルタ、トプコン、ニコン、キヤノンなどの主要メーカーは、クイックリターンミラーやレンズの完全自動絞りなど一眼レフとして必要な機能を備えたカメラの開発を終え、多くの交換レンズやアクセサリーを備えたシステムカメラを作り上げました。特に1959年に発売されたニコンFは世界の報道分野で圧倒的なシェアを持つようになりました。また日本の一眼レフはアメリカ市場でそれまでの東独製一眼レフに替わる地位を獲得していきます。さらにこの期間中に世界最初のTTL測光機を開発し、レンズシャッター式一眼レフでは難しいとされたクイックリターンミラーと自動絞りを実現して、外国のカメラに対する技術の差別化を果たしています。また独創的な構造をもつ35mmハーフサイズ一眼レフのオリンパスペンF(神藤弘充さん持参)も、1963年に発売されています。
一方ヴィルギン(Wirgin)から1953年にコメット(アイレベルのペンタプリズムとウェストレベル交換式)、引き続き1954年にエディクサ レフレックス、1957年には同B型が発売されたものの、西独でこの期間までに発売されたフォーカルプレーンシャッター式35mm一眼レフは、僅かにツァイスイコンが1959年に発売したコンタレックスⅠとその改良機、ライツが1965年に発売したライカフレックスのみでした。連動型のセレン露出計をつけ、高級一眼レフとして登場したコンタレックスⅠは、クイックリターンミラーにはなっていたものの自動絞りは完全ではなく、シャッターを切ると絞られたままになり、フィルムを巻き上げるまで絞りが開放にならない構造でした。TTL化が実現するのは1968年発売のコンタレックススーパーであり、1965年(注:アルパブック-豊田茂雄では1964年)にTTLを実現したアルパ9dや、同じ西独の1967年発売のエディクサ プリズマットTTLよりも遅れています。またライカフレックスもコンタレックスと同様にTTL化を1968年のライカフレックスSLで実現します。この様な二大メーカーの遅れが西独のカメラ産業を衰退させる一因になったと思われます。
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