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2004年11月月の研究会報告
11月13日(土曜日)午後2時からJCII6階会議室にて開かれました。テーマは『社会主義国で生産されたカメラ』でした。全体としてはやはりフェト、ゾルキで代表されるソ連のカメラが多く、ハンガリーやポーランドなど東欧圏のカメラを眼にすることもできました。社会主義国で生産されたカメラというと、1960年以降に作られたものも多く、今回はクラシックカメラの範疇にしばられず目についたカメラを紹介します。
今回はソ連製カメラに詳しい吉田安夫さんに「フェト-1から始まったロシアカメラと題してソ連製カメラについてのお話をして頂きました。


04/11研究会持参カメラ一覧・・基本的には持参者の記入通りとし明らかに誤記と思われるものは(編)で修正しました(敬称略、50音順)
持 参 者 カ メ ラ  名 製造会社 フィルム 国名 発売年
浅沼 宣夫 フォルテ(FORTE) フォルテ写真化学工業 120(6×6cm) ハンガリー c1948
長城 北京照相機廠 中国 1981
ペンティナ ペンタコン 135(24×36mm) 東ドイツ 1961
岩崎 敏彦 プラクティナ FX KW 135(24×36mm) 1953
ヴェラ(Wera)W カール・ツァイス・イエナ 1958
岡田 万寿男 フレクサレット メオプタ 120(6×6cm) チェコスロバキア c1955
ペンタコン D VEBツァイス・イコン 135(24×36mm) 東ドイツ 1953
キエフ 2 キエフ・アルセナール ソ連 1950
片山 良平 幸福 天津製作所 120(6×6cm) 中国 1957
ミモザU ミモザAG 135(24×36mm) 東ドイツ 1948
小滝 日出彦 ゾルキ 1 KMZ 135(24×36mm) ソ連 1949
ヴェラ T カール・ツァイス・イエナ 東ドイツ 1954
エキサクタ U イハゲー 1949
エキサクタ X 1950
小林 昭夫 プラクチカ KW 1949
プラクチカ FX 1952
プラクチカ FX2 1956
プラクチカ FX3
小林 泰人 ステレオ35 メオプタ 135(12×13mm Stereo) チェコスロバキア 1959
ヴェガ U Droupta 135(24×36mm) c1957
FT2(パノラマカメラ) KMZ 135(24×110mm) ソ連 1958
佐藤 経明 オペマ U(後期型) メオプタ 135(24×36mm) チェコスロバキア 1956
モミコン MOM 135(24×32mm) ハンガリー c1950
ペンティ U カメラ・ウント・キノヴェルケ 135(18×24mm) 東ドイツ 1960
フェト 1g フェト 135(24×36mm) ソ連 1953
嶋田 健 労動 冠龍(上海) 120(6×6cm、4.5×6cm) 中国 1959
上海58-U 上海照相機廠 135(24×36mm) 1958
紅旗 20 上海照相機二廠 1971
ヴェラ カール・ツァイス・イエナ 東ドイツ 1954
城 靖治 上海58-U(3台) 上海照相機廠 中国 1959
スタート KMZ ソ連 1960
F-21 特殊18mm巾フィルム
(18×24mm)
c1951
鈴木 恭一 キエフ V キエフ・アルセナール 135(24×36mm) 1952
エタレタ エタ(ETA) チェコスロバキア 1950
ベルティカ ベルカ(Belca) 東ドイツ 1951
高島 鎮雄 オリゾント I.O.R. ルーマニア 1960
ユティタルス FFV 120(6×6cm) ハンガリー 1952
フェニックス WZFO 135(24×36mm) ポーランド 1958
スタルト 120(6×6cm) 1956
エピフォカ VRSOFOT チェコスロバキア 1947
ライカ・ルフトヴァッヘ(フェイク) フェト(?) 135(24×36mm) ソ連
ゾルキ・ユーラ KMZ 1961
フェト・シベリア フェト 1940
高橋 正 サリュート-C キエフ・アルセナール 120(6×6cm) 1972
ザリャー フェト 135(24×36mm) 1959
モスクワ5 KMZ 120(6×9cm) 1956
ホライゾン202 135(24×58mm) 1989
スプートニク GOMZ 120(6×6cm) 1955
竹内 久彌 オリゾント I.O.R. 135(24×36mm) ルーマニア 1960
オリゾント-3(?)
アルファ(ダークブルー・ダークレッド) WZFO ポーランド c1950
アルファ2(色違い6色) c1963
田村 彰啓 ゾルキ 1c KMZ ソ連 1951
ゼニット-C 1955
ミール 1959
中村 昭典 メプロゼニット E KMZ(明貿産業) c1971
長谷川 幸也 フェト(タイプ3) フェト 1939
上海58-U 上海照相機廠 中国 1959
服部 豊 TCBBC(TSVVS) フェト 135(24×36mm) ソ連 1950
アウローラ(ABPOPA=AVRORA)-2 1967
林 勝夫 ヴォスホート(Voskhod) GOMZ 1964
イスクラ(Iskra) KMZ 120(6×6cm) 1960
林 輝昭 スタルト(Start) WZFO ポーランド 1956
ノコフレックス(Noco-Flex) 1966
林田 吉弘 珠江(Pearl River) S-201 北方工業公司(北京) 135(24×36mm) 中国 1980s
海鴎(Seagull) DF-1 上海照相機廠 1970s
レニングラート GOMZ ソ連 1956
藤田 耕一 キエフ4 キエフ・アルセナール 135(24×36mm) 1957
フェト-2 フェト 1955
ゾルキ 1d KMZ c1953
馬淵 勇 ミローナ(Milona) T メオプタ 120(6×6cm) チェコスロバキア 1950?
ミローナ(Milona) U 120(6×6cm、4.5×6cm)
Corta 不明 120(6×6cm)
山前 邦臣 上海58-U 上海照相機廠 135(24×36mm) 中国 1958
長城 DF2 北京照相機廠 120(6×6cm) 1981
山下 浩 フェト C(S) フェト 135(24×36mm) ソ連 1938
フェト・ゾルキ KMZ 1948
フェト 2a フェト 1955
ゾルキ 3(初期型) KMZ 1951
ドルーク 1960
スメナ 8 LOMO 1969
山脇 慶酉 プラクチカ FX KW 東ドイツ 1952
湯浅 謙 エタレタ エタ(ETA) 135(24×36mm) チェコスロバキア 1950
吉田 稔 ゼニット KMZ ソ連 1953
吉田 安夫 フェト 1d
(2台:F2/50mm、F3.5/50mm付)
フェト 1939
フェト 1g 1953
ゾルキ 1c  KMZ 1951
ゾルキ 1d 1953
ゾルキ 3C 1955
キエフ U キエフ・アルセナール 1950

   
吉田安夫さんのロシアカメラ、手前左はフェト1d(F2レンズ付)、同右ゾルキ1c、奥は1952年発売のキエフU型


 ソ連製カメラに詳しい吉田安夫さんに「フェト(FED)1から始まったロシアカメラ」という題で、1991年ソ連が崩壊後、今までベールに包まれていたソ連のカメラ工業会の戦前から戦後にわたる変遷を詳しく話して頂きました。

 お話の内容は’04年12月配布の会報54号に掲載してあります。
 
 服部豊さん所有のTCBBC(TSVVS)と言うカメラ。キリル文字のTCはTopographic Department、BBCはAir Forceのことで旧ソ連空軍地形局(?)御用達の軍用カメラと言われています。

 カール・ツァイス・イエナ製のゾナー付き、マウントは外側マウント無しで50mm標準レンズ専用機。しかもビューファインダーは80〜90mmとなっており謎の多いカメラです。
 右のマウント部詳細写真で分かるようにボディー取り付け用の四角いベースと一体加工されたマウントには外側のマウントはありません。
 

 同じく服部さんのアウローラ(ABPOPA)-2、キリル文字のABPOPAはラテン文字ではAVRORAでアウローラと読むそうです。
1967年ロシア革命50周年を記念して作られたものと言われています。

 軍艦部上面にロシア革命50周年を記念する1917と1967の年号、及びロシア革命蜂起を号砲で合図した、ロシア海軍軽巡洋艦「オーロラ(アウローラ)号」、クレンムリンのシンボル「スパスカヤ塔」、ソ連の誇る「宇宙ロケット」を描いたものだそうです。カメラの名前はこのオーロラ号にちなんでいます。この軽巡洋艦オーロラ号は記念艦として今もサンクト・ペテルブルグのネヴァ河畔に係留保存されています。

左の写真はオーロラ(アウローラ)号3本煙突がイラストそっくりです。

このオーロラ号は、日本海海戦の生き残りで日本人にとって因縁深い軍艦です。



カメラ上部の図柄(オーロラ号他)に関する説明文は千葉県在住のI. K.氏のご指摘により事務局で内容を修正致しました。
(2005年3月13日、AJCC事務局)





高橋正さん所有のサリュートC(S)、ハッセルブラッド1000Fのコピー機だが、ハッセルブラッドとのレンズの互換性はないようです。

標準レンズの90mm F2.8は、よくできたレンズでよく写るとのこと。
       
同じく高橋さんの現代ロシアで作られたホライゾン202、カメラにはMade in Russiaと書かれています。
35mmフィルムに24mm×58mmのパノラマ写真が撮れます。

これも高橋さんのカメラで、6×6判ベークライト製ステレオカメラ、スプートニク。
ファインダーは二眼レフ方式でビューレンズの鏡筒に付けられたギアが両側の撮影レンズのギアとかみ合ってピント調節をします。


林勝夫さん所有のソ連製35mmレンズシャッターカメラ「ヴォスホート」
焦点合わせは距離計非連動、全玉回転式です。
フィルム巻き上げはコニカV型のようにシャッター横に付けられたレバーを押し下げて行います。

大きなファインダーとセレンの露出計が横長手方向に付けられており細長い形が特徴です。

林さんのものは露出計を含め完動品です。

竹内久彌さんのポーランドWZFO (Warszawkie Zaklady Foto - Optyczne)社製35mmレンズシャッター機 アルファ2台(奥左の2台)とアルファ2が6台。カラフルでかつユニークな形のカメラで、色は8色あるとのこと。


林輝昭さん持参の同じくポーランドWZFO製二眼レフ2台。
ノコフレックスとスタルト(START)
    
HP担当の林田持参のレニングラート、ロシア語の取扱説明書付。強力なスプリングモーターのため耐久性に乏しく動かないものが多い中で、珍しくこれは完動品です。
    
同じく林田所有の中国製1眼レフ35mmカメラ。左の珠江は外観的にはニコンF2コピー機ですがレンズマウントや巻き上げ機構はミノルタ類似です。海鴎(Seagull)はミノルタSR2のコピー機で一見するとミノルタと見間違えてしまいます。珠江と海鴎は同じミノルタマウントながら若干違いがあり相互の互換性がないものが多い。ミノルタにはこれらのレンズを装着しない方がよさそうです。

林田が中国で購入したカラーフィルム。いずれもISO100。
左はコダックカラーフィルム、右はラッキーカラーフィルム。
     
上海58-Uは城靖治さん、長谷川幸也さん、嶋田健さん、山前邦臣さんの4名が持ってこられましたが、これは長谷川さんの上海。新品同様で皮ケース付き。上海はライカVのコピーですが1眼式距離計付きなのでキヤノンSUコピーとも言えます。

嶋田健さん所有の紅旗20、毛沢東夫人の江青女史の指示で1969年に中国建国20周年を記念して、ライカM3にまけないカメラとして作られたカメラ。
嶋田さんは50mm/F1.4の標準レンズのほか35mm/F1.4、90mm/F2と3本全部揃えられています。カメラ上部に赤い字で書かれた紅旗の文字は毛沢東の筆跡と言われています。上海の愛好家グループが編集した「相機博覧」という資料には1970年から79年にかけて271台製造されたとあります。

嶋田さん所有の「労動」カメラ、富士ペットのコピー機
6×6判と、マスクを付けて6×4.5(セミ)判として使えます。

山前邦臣さんと浅沼宣夫さんは、長城 DF2を持参されました。
写真のカメラは山前さん所有のものです。

6×6判とセミ判共用機です。

このカメラはドイツKW社のピロートスーパーのコピー機でDF1からDF4まであったそうです。ちょっと目にはピローとのコピーにはみえない印象があります。
レンズマウントはライカと同じ39mmなのでライカレンズが使えるとのことです。

小林昭夫さんの所有するKW社のプラクチカ各種
手前左プラクチカ、右同FX、奥左同FX2、右FX3


高島会長所有のチェコスロバキア製6×6判レンズシャッター機エピフォカ。
レンズはルーヴィッヒのビクター、シャッターはプロンターと主要部はドイツ製部品を使用しています。

レンズは固定式なので航空カメラとして使われたのではないかと思われます。

高島会長が持参された東欧諸国のカメラ、右からルーマニア製35mmレンズシャッター機オリゾント、ハンガリーの6×6判レンズシャッター機でベークライト製のユティタルス(東西ドイツで生産されたポウバ(POUVA)と言うカメラのコピー機)、
ポーランド製35mmレンズシャッター機フェニックス1b。