Home 行事 会員へのお願い

全日本クラシックカメラクラブ
A
ll Japan Classic Camera Club

>>  最 近 の 活 動 報 告  <<        (04年8月10日追加)
2004年7月の研究会報告
平成16年7月10日(土曜日)午後2時からJCII6階会議室にて開かれ、約60名の参加がありました。今回のテーマは『メーカー名もしくはカメラ名が「L」または「M」で始まるカメラ』でした。いつもと比べて多くの珍しいカメラが集まりました。「L」というとまずライカを思い浮かべますが、当会の研究対象としては新鮮味が少ないせいか持参された方は少なかったようです。


04/7研究会持参カメラ一覧・・基本的には持参者の記入通りとし明らかに誤記と思われるものは(編)で修正しました(敬称略、50音順)
持 参 者 カ メ ラ  名 製造会社 フィルム 国名 発売年
五十嵐 登 マーシャルプレス マーシャル光学 120(6×9cm) 日本 1966
伊木 紀昭 ミノルタ35 Model-E 千代田光学精工 135(24×36mm) 1951
ミノルタコード オートマット 120(6×6cm) 1955
マミヤフレックス C2 マミヤ光機 1958
ピクニーD(Picny D) 宮川精機 ボルタ判(24×24mm) 1948
ライカ Vg エルンスト・ライツ 135(24×36mm) 旧西独 1957
石橋 直幸
泉 盛司 ルミエール・エルジー ルミエール 裏紙付き30mmフィルム(24×36mm) フランス 1937
ミューズフレックス Ua 東郷堂 ボルタ判(28×28mm) 日本 1951
小滝 日出彦 ロード WB 岡谷光機 135(24×36mm) 1955
ミノルタ・ユニオマット 千代田光学精工 1960
マミヤ・クラウン マミヤ光機 1958
マミヤ・オート・デラックス 1961
マミヤ16 オートマチック 16mm(10×14mm) 1959
ミノルタ・オートコード L 千代田光学精工 120(6×6cm) 1655
ライカ Va エルンスト・ライツ 135(24×36mm) ドイツ 1936
小林 将利 ローレルフレックス 東京光学 120(6×6cm) 日本 1951
マミヤフレックス C マミヤ光機 1956
笹沼 弘 エンサイン・マルテックス ホートン・ブッチャー 127(3×4cm) イギリス c1938
ミノルタミニフレックス 千代田光学精工 127(4×4cm) 日本 1959
佐藤 経明 ロード SE 岡谷光機 135(24×36mm) 日本 1958
リンクス U ポンティアック 127(3×4cm) フランス c1948
モメッタ MOM 135(24×32mm) ハンガリー c1951
篠崎 光宏 ルック(Look) モデルA ルックカメラ 135(24×36mm) 日本 1949
モンテ35 新世光機 1952
モリスフレックス(試作機と思われる) 森製作所 120(6×6cm) 不明
ミコノフレックス 小島光学精機 c1952
鈴木 恭一 マミヤ35 U マミヤ光機 135(24×36mm) 1955
高島 鎮雄 ル・サン・ヴュー(Le Cent Vues) モリエール(Mollier) 35mm(18×24mm 100枚撮り) フランス 1925
メシルックス(Mecilux) ラシェーズ(Lachaize) 135(24×36mm) 1955
ミニグラフ レヴィ・ロート(Levy Roth) 35mm(18×24mm 50枚撮り) ドイツ 1915
ル・パスカル(Le Pascal) ジャピー兄弟 42mm幅ロールフィルム12枚撮り フランス 1848
マミヤ35 マミヤ光機 135(24×36mm) 日本 1949
高橋 正 リンホフ テヒニカ U リンホフ(Linhof) ドイツ 1936
ライラ・シックス V 富士光学工業 120(6×6cm) 日本 1939
リリー手札版 小西六 手札版プレート(8×10.5cm) 1933
ミノルタ・オートコード 千代田光学精工 120(6×6cm) 1955
マミヤ・シックス WB マミヤ光機 120(6×6cm) 1955
ミネッタ 不明 裏紙付き(14×14mm) 不明
竹内 久彌 ラッキー G.G.S
(イタリア、ミラノ)
135(24×36mm) イタリア c1948
ラッキーフレックス c1948
田村 彰啓 マーキュリー U ユニバーサルカメラ 135(18×24mm) アメリカ 1945
ミール KMZ 135(24×36mm) 旧ソ連 1959
中村 昭典 ライカVc(段付き) エルンスト・ライツ ドイツ 1940
マストラ V35 (Mastra V35) レグラ(Regula-Werk King KG) 旧西独 c1958
メプロ・ゼニット E KMZ(明貿産業) 旧ソ連 c1971
中村 雅夫 ミノックス B ミノックス ミノックス判(8×11mm) 旧西独 c1958
ミニマックス 日向工業 日本 1982
ミノルタ SR1(前期) 千代田光学精工 135(24×36mm) 1959
ミノルタ SR1(後期) 1961
長谷川 幸也 ミドル120 (Middl 120) 音羽光機 120(4.5×6cm) c1947
ラコン C (Lacon C) 信濃光機 135(24×36mm) 1954
服部 豊 メルコン U 目黒光学 1957
林 輝昭 マミヤフレックス・ジュニア(初期) マミヤ光機 120(6×6cm) 日本 1948
メイカイフレックス ミューズ・オプチカル
(東郷堂)
ボルタ判(30×30mm) 1948
ミューズフレックス 東郷堂 ボルタ判(28×28mm) 1950
林田 吉弘 ロードマット ライドルフ(Leidolf) 135(24×36mm) 旧西独 1953
レオタックス DW 昭和光学 日本 1950
松浦 勇 セミライラ 富士光学工業 120(4.5×6cm) 1936
ミノルタ A2 千代田光学精工 135(24×36mm) 1956
ミノルタ A5 1960
馬淵 勇 モンタナス・スーパーレフレックス・カメラ モンタナス・カメラ 120(6×6cm) 旧西独 1954
ミカド・セミ 隅田光機 120(4.5×6cm) 日本 1952
ミロナ(Milona) メオプタ(Meopta) 120(4.5×6cm、6×6cm) チェコスロバキア 1952
ミノルタ・ベスト 千代田光学精工 127(4×6.5cm、3×4cm) 日本 1934
村松 啓三郎 ミノルタ 35U 135(24×34.5mm) 1955
レオタックス・メリット 昭和光学 135(24×36mm) 1958
マミヤ・プレス マミヤ光機 120(4.5×6、6×6、6×9cm) 1962
山口 満 ミューラー・ミュレット ミューラー&デュローニ 120(6×9cm) イタリア c1920
ミニコード ゲルツ 16mm(10×10mm) オーストリア 1951
山下 浩 レニングラード GOMZ 135(24×36mm) 旧ソ連 1956
ヴァスホート(Vaskhod) LOMO 1965
LOMO135BC 1975
山本 重治 ミノックス(リガ) VEF ミノックス判(8×11mm) ラトビア 1937
ミノックスV ミノックス 旧西独 1951
ミノックスB(白、黒) 1958
ミノックスBL(白、黒) 1972
ミノックスC 1969
ミノックスLX 1978
ミノックスEC 1981
山本 利実 ミノックスB 1958
湯浅 謙 マミヤフレックスオートマチックA マミヤ光機 120(6×6cm) 日本 1949
マミヤ-6・オートマット 1955
マミヤ-6・オートマット U 1958
吉田 安夫 マミヤ・プリズマット 135(24×36mm) 1961
ミノルタA 千代田光学精工 1955
ミネシックス 高嶺光学 120(4.5×6cm、6×6cm) 1955
フレクサレット Ua メオプタ 120(6×6cm) チェコスロバキア 1948

    
篠崎光宏さんのカメラ。戦後の混乱期に作られた珍しいカメラで手前左がルック、同右はモンテ35、奥左はモリスフレックス、同右がミコノフレックス、1989年1月発行のカメラコレクターズニュースの谷村吉彦さんの記事に、モリスフレックスは森製作所が3台試作したとあり、これはその3台のうちの1台かもしれません。            
   
長谷川幸也さんのカメラ、奥は音羽光機が1947年頃発売したと思われる、セミ判スプリングカメラ、ミドル(Middl、最後の"e"はありません)
手前2台は信濃光機が1954年頃発売したラコンC。1952年発売のラコン35の後継機。この後1955年には単独距離計付きラコン35Rを発売しています。                               
   
林輝昭さん持参のカメラ、左からマミヤが1948年発売したマミヤフレックスジュニア、東郷堂(戦後一時期ミューズオプチカルワークスと称した)が1953年と1948年に発売した、ミューズフレックッス(中央)とメイカイフレックス(右)

マミヤフレックスジュニアの巻き上げノブ
メイド・イン・オキュパイド・ジャパンとあります。

竹内久彌さんのイタリアGGS社が1946年に発売したラッキー(左)とラッキーフレックス。ラッキーは3千台、ラッキーフレックスは2千台しか製作されなかったという貴重なカメラです。

馬淵勇さんのカメラ、左から隅田光機が1952年に発売したミカドセミ、ドイツモンタナス社が1954年に発売したモンタナス・スーパーレフレックスカメラ(中央)、チェコメオプタ製スプリングカメラ、ミロナ(右)

写真左はエンサイン・マルテックス・モデル0を片手に説明する笹沼弘さん。

エンサイン・マルテックス・モデル0(右の写真)は1938年頃英国ホートン・ブッチャー社から発売されたベスト半裁判のフォーカルプレーン機。

エンサイン・マルテックスは1936年頃世界初の距離計連動ベスト判カメラとしてモデルTを発売しています。これは軍艦部が黒塗りでクラシックな形態をしています。




写真左、マーシャルプレスを説明する五十嵐登さん。

マーシャルプレス(左の写真)は当会のクラシックカメラの定義からははずれますが、1966年マーシャル光学から発売された120フィルム使用の6×9cm判プレスカメラ。
間宮精一氏の設計で有名です。

レンズはニッコール105mm、135mm用と150mm用のテレコンバーター付き。
         
左と上の写真は高島会長持参のフランス、ラ・シェーズ社から1955年に発売された35mmレンズシャッター機、メシルックス(Mecilux)
距離調節は目測式の普及機ですが、シャッターと絞り調節がプリミティブなプログラムシャッターとなっています。たとえばシャッター速度をノーマル位置にして、絞りリングを快晴に合わせておきます。この状態でレンズ左のレバーをスポーツに合わせると、シャッター速度と絞りが同時に同じ露光量になるように変化します。


同じく高島会長のカメラで左は1925年仏モリエール社から発売されたル・サン・ビュー(Le Cent Vues)。35mmフィルムにハーフサイズで100枚撮影可能で、カメラ名はそのものズバリの「100枚撮り」です。

中央はドイツ、レビュー・ロート社から1915年に発売された35mmカメラでハーフサイズで50枚撮影します。

右は仏ジャピー兄弟社から1898年に発売された史上初のスプリング・モータードライブのカメラ、ル・パスカル。フィルム装填側にスプリングモーターがあり、最初にフィルムを巻き取るとフィルムに引っ張られてバネに蓄勢され、撮影の度に1コマ宛戻ります。フィルムは42mm幅